伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2016/06/29

2016-06-29 07:47:04 | 一日一章・聖書通読日記
民数記 3:5-7
『主はまたモーセに言われた、 「レビの部族を召し寄せ、祭司アロンの前に立って仕えさせなさい。 彼らは会見の幕屋の前にあって、アロンと全会衆のために、その務をし、幕屋の働きをしなければならない。」』

神の幕屋での働きは、祭司だけですべてを行うことはできません。そこで神様は幕屋で仕える祭司の助け手としてレビ部族を召し寄せ、幕屋に関する働きを任されました。

私たちにとっても、教会の様々な働きは牧師だけですべてできるものではありません。幕屋の働きと同じように、牧師を補佐して教会の働きを助けることが信徒の役割です。神様に召し出され、教会のために仕える私たちでありますように。

http://bible.com/81/num.3.5-7.ja1955

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民数記 3:9-10
「あなたはレビびとを、アロンとその子たちとに、与えなければならない。彼らはイスラエルの人々のうちから、全くアロンに与えられたものである。 あなたはアロンとその子たちとを立てて、祭司の職を守らせなければならない。ほかの人で近づくものは殺されるであろう」。

レビ人たちは、全イスラエルの中から神様の所有とされ、神の幕屋で祭儀を執り行う祭司に与えられた者という意味合いも含まれていました。そして祭司の務めはアロンとその子孫だけに許された働きです。神の幕屋の奉仕を委ねられたレビ人でさえも、祭司の務めは許されていませんでした。

私たちは神様からの召し、神様の選びがなければ何事も許されていません。自らの分を越えて思い上がることなく、委ねられた使命を忠実に果たす私たちでありますように。

http://bible.com/81/num.3.9-10.ja1955

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民数記 3:11-13
『主はまたモーセに言われた、 「わたしは、イスラエルの人々のうちの初めに生れたすべてのういごの代りに、レビびとをイスラエルの人々のうちから取るであろう。レビびとは、わたしのものとなるであろう。 ういごはすべてわたしのものだからである。わたしは、エジプトの国において、すべてのういごを撃ち殺した日に、イスラエルのういごを、人も獣も、ことごとく聖別して、わたしに帰せしめた。彼らはわたしのものとなるであろう。わたしは主である」。』

神様がレビ人を神様の所有とされたのは、かつてエジプトを脱出したときにすべての初子が死の使いに撃たれた中、イスラエルの初子は家畜に至るまでいのちを守られた史実に対し、全イスラエルの初子の替わりに購い代として、レビ人を聖別して主の所有とされた定めです。

私たちも本来は罪の奴隷から解放されたときに初子を神様に捧げなければならなかったところを、神様の初子であられるイエス様が身代わりとなって、私たちのいのちを購ってくださいました。このイエス様の購いの御業を深く感謝して受け止める私たちでありますように。

http://bible.com/81/num.3.11-13.ja1955

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民数記 3:38
「また幕屋の前、その東の方、すなわち、会見の幕屋の東の方に宿営する者は、モーセとアロン、およびアロンの子たちであって、イスラエルの人々の務に代って、聖所の務を守るものである。ほかの人で近づく者は殺されるであろう。」

レビ人たちはその氏族に従い、幕屋のための奉仕の分担と、宿営する場所が定められていました。ゲルションの氏族は幕屋の西側に宿営して幕屋を覆う幕と梁を任され、コハテの氏族は幕屋の南側に宿営して契約の箱と聖所の中の調度品を任され、メラリの氏族は幕屋の北側に宿営して幕屋の庭と外側を覆う枠や幕などを任されました。そしてモーセとアロンとその子たちが幕屋の東側、すなわち幕屋の入口近くに宿営し、幕屋の中で祭司の務めの一切を執り行いました。

神様のための奉仕は、それぞれに委ねられた範囲を逸脱してはなりません。自らの分をわきまえ、自分の思いではなく御心に従い、置かれた立場で神様に仕える私たちでありますように。

http://bible.com/81/num.3.38.ja1955
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【今日の聖句】 2016/06/29

2016-06-29 06:36:51 | 今日の聖句
詩篇 51:12
「あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください。」

罪を隠したままでは真の自由を得ることはできません。罪を包み隠さず素直に認めて心から悔い改め、主の御前に義とされて救いの喜びを回復し、罪悪感の束縛から解放されて身も心も魂も自由となる私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.51.12.ja1955
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