佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

日本最古のつり雑誌 その2

2015-09-06 19:56:35 | 釣り界の歴史

2日目、

翌日の午後、女島の南端「地の平瀬」へ、走るも、やはりイズスミの巣窟となっていた。

先に上がっていた釣り人も腕を組んだまま、唖然としていた。

(佐藤談、「ここのイズスミはイシダイのエサの赤貝にも反応して、エサを取りに来る」)

こうなったら「夜釣りか水道の本流を攻めるべき」児島の決断は早く、早々に夜釣りの

マル秘ポイントに転進することになる。

 

児島が夜釣りで数々の実績を上げてきた、その磯はハナグリ島の南東部「貯金箱のハナレ」

のすぐ横にある小さなワンドで磯の名前はなく、船着場よりさらに置くに位置し、直径15m

水深も2ヒロほどで丸見えの底には大きな石が4つ「ここがポイントですか」まず誰も竿を

出さないであろう。

この小さな入り江が大グレのエサ場となっているという、信じがたい話なのだが、これが

2晩的中した磯であっった。

 彼がこの男女のつりには必ずといってよいくらいに信頼しているエサ屋が長崎新港の近く

にある「丸正」、エサの手配と釣り場の情報はナンバー1であって、そして載って行く

いく船は最高速度40ノット(70キロ)のスーパー船は、約3時間足らずで到着する

そしてポーターが荷物を磯上げしてくれるので安心して釣りができる。

 

(私が男女に行くときは必ず彼が一緒に行ってくれたそしていろいろとサポートをして

くれたのでした。) 

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日本最古のつり雑誌 その1

2015-09-05 19:54:06 | 釣り界の歴史

日本で一番古いつり雑誌であった、「つりのとも」の廃刊は本当に残念でした。

社長の大田さんともあれ以来会うこともない、一度会いたいものですが、連絡ができない

ので残念です、どなたか知っておられる方がいたら連絡ください。

 

建設会社の友人が後をついでお金を出してA編集長にやらせたのですがうまくいかず2度つぶれたことに

なってしまった。

 私の手元に最後の本となる記事の原稿(2000年1月号)の一部があります、

確か配本まで行かなかったように思うのですが・・・

その内容は和歌山の藤原名人の釣りについてと、大阪守口の児島弘明氏の

「巨グレを求めて」ロングランの旅の記事が主となっているもので、懐かしい記事です、

それを読み返してみたい。

 

児島弘明が男女群島に足を踏み入れたのは1985年、今から30年位前になる、そして

60センチの壁を破った。

 

今回の記事のために彼は空路長崎にとんだのは12月10日である、

「まだ、ちょっと早いけどなー」スーパーウインⅡの廣山船長の言葉を聴きながら4泊5日の

釣行の旅は始まった。

 

3時間後の午後11時、投光器に磯のシルエットが浮かび上がった。

初日はハナグリ島の北東部「古賀横」この磯は浅いポイントだけに軽いマキエで浮かせて

攻めるとよいそうだ。

 

深夜というのにウワサにたがわずイズスミの猛攻が始まり、水深のない分、かわす術がない

2発の強引は60センチ級のヒラマサで12月の尾長グレ狙いの難しさを思い知らされたハメと

なった。

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磯釣りの本よりの続き

2015-09-04 18:49:01 | 釣り界の歴史

この大物釣りの本のなかで、井ノ口氏がなしえ無かったというか、ここで釣ることが

出来なかった魚にイシダイ(クチジロ)がある。

当時クチジロなどこの小笠原にいるとはだれも思っていなかった。

彼自身、小笠原にはイシダイはいないとこの本にかかれておられます。

釣りサンデーの小西氏も小笠原にイシダイがいるとは書かれておられなかった。

そのイシダイについては小笠原が変換された(昭和42年6月)しばらくの間は誰の口からもイシダイが釣

れると言うことが出なかったが、数年後クチジロがいるとの話から

イシダイ釣り師がこぞって小笠原に出かけるようになった。

11PMは昭和43年11月に探り釣りとロケをかねて出かけたのがテレビ報道としては

最初でなかったのかなと思います。

私もこの時に一緒に行って、釣ったときのクエの魚拓が今も玄関に飾ってある。

この時にも大型のクエやバラハタの類が主でクチジロの仕掛けなどはもって行かなかった。

この当時小笠原の何処で竿を出しても大型の魚が入れ食いにかかってきた。

私がその後事務所の若い2人を釣れて行ったときは、一人が竿を出してつぎの仕掛けを出すまでに、もう

今入れた竿が舞い込んで助けを呼んでいるというそういう状態が続いた。

それほど当時は魚が多くいたのです、そのような状態では誰もイシダイがいるとは

おもわないのが普通で しょう。

だから,井ノ口氏が口白をつらなかったのはこのような状態では無理もないのです。

もし、誰かが試にでもやっていたら、小笠原でのクチジロ第1号になったことでしょう。

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磯釣りの本より

2015-09-03 19:43:34 | 釣り界の歴史

この井ノ口氏の本は今も磯釣りを目指す人には大変役に立つ本です。

最近の釣りを見ていると若い人の多くはルアー釣りが多く、磯釣りというのは大変少ない

先日も書いたが、磯釣りの人口が減ってきているので割合に好きな磯にあがれる

私達の多くの釣り人が男女群島にあこがれて多くの人が高いお金を使っても押しかけた10数年前、

好きな磯やあがりたいところは取り合いしてあがったのが、今の男女への渡船も当時の20数隻から今は

10隻も動いてないとのこと、石鯛を目指して行く鳥島

も当時は抽選による順番制で当日荒れて磯上がり出来ないときは翌日に上がると言うことはできず、次の

順番を待たなければならなかった、それだけ人が多かったという。

この本に書かれている離島も今は遙かに楽になっていけるようになった。

これを書かれた井ノ口氏や以前に書いた森岡氏の様な開拓者が居られたお陰だと思う。

この本には薩南地方の27カ所とか沖縄の15カ所五島列島や対馬海流の30カ所や

伊豆諸島16カ所以上、そして小笠原の魚の宝庫などが詳しく書かれているが、

私などはその中の果たしていくつの島に行ってきたのか考えてみたら20カ所ぐらいしかなかったのでい

かに素晴らしい先駆者であったのかと思います。

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磯釣りの本

2015-09-02 19:31:03 | 釣り界の歴史

私の文庫から懐かしい釣りの本を引き出してきました。

今から46年前の磯の開拓にまつわる本です。「離島の大物釣り」井ノ口和雄作、東京書店

発行の本です。

この方は、私と同年代の方はよく見られていたと思う「11PM」そのなかにあった釣り番組

スケールの大きな番組でした。

当時、多くの方がその釣り番組を見て、やってみたいと思った、いまそれほどの番組はない

その11PMが無くなって、期待がかかっていた、一つの釣り番組も最近は本来の釣り番組と

言うよりバラエテイ番組と違うのかという人もいるぐらいになっている。

昔の11PMほどでなくても、もう少し楽しめる釣り番組にもどってほしいものです。

 私などはこの11PMをみてあこがれて磯の大物釣りに挑戦した者ですが、この本を書かれた

井ノ口氏はもう80歳を超されておられていまも元気で釣りをされているのかわかりませんが、以前小笠原

にご一緒させてもらって以来お会いしていませんが当時の、服部氏に中井戸氏に小西氏や藤沢氏、志賀

氏など多くの有名人が、もう鬼籍に入られて寂しい限りです。

それに横浜の大竹克柾氏はまだげんきでおられるのかな・・・

懐かしいこの本をもう一度、ひもといていきたく思います。

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