釣りにのめり込んのはいつの頃からだろうか・・・。
今ではドブ川のような大阪・土佐堀川沿いに姉の家があり、この姉の家に遊びに行った時に、この川でドンコを掬った思い出がある。
今のように護岸壁で囲まれてなく、砂地の川原があった。終戦直後のことでした。
そして高校1年の頃に、大和川でハゼをバケツいっぱいに釣って帰って母にしかられた事も今は遠い思い出である。
石鯛釣りというものにのめり込んだのは、仕事の帰りに立ち寄った釣具店で、壁に飾られてあった石鯛の魚拓を見てからだったと思う。
この釣具店(庄内ダイエー内の今は無き坂本釣り具店)が、いま私が所属している北摂フィッシングクラブの発祥地でした。
当時、石鯛1匹釣るのに百万円かかるというような話でした。何で魚1匹釣るのにそんなにかかるねん?と思い、若さゆえの反骨心で道具をそろえた。
そして磯釣りのイロハも知らないのに底物釣りとやらを始めてしまった。
それから釣りたい一心でいろんなガセネタで各地を釣り歩くことになった。このクラブ自体が底物のクラブで、当時70人以上の会員さんが重たい底物竿を担いで釣りに行っていました。
当時の底物の竿といったら、今のとは比べ物にならないぐらいごつくて重たくて、
頑丈一点張りのものでした。今も自宅にあるが、子供がぶら下がっても曲がらないぐらいの竿で、リールシートもステンレスで作られている。
その当時、クラブとして南紀の串本大島と四国の牟岐大島の2ケ所を本拠地として釣り歩いていました。
今考えたら、いくらでも行くところがあるのに、その2ヶ所しか知らなかったので
例会と言えばこのどちらかでした。
「石鯛釣りの魅力は何?」と聞かれたら、なんと答えたら一番納得してもらえるだろうか。荒磯の王者としての貫禄はもちろんのこと、精悍な面構えとあのものすごいパワーにあるのではないだろうか。
60キロの人間が60センチの魚に振り回されるという現実、まして70センチを越えるイシダイとは力と力の対決が待っている。それを制したあとの感動は言葉で表すことができないものであろう。
私は初めてイシダイを釣った人と何度か握手しておめでとうを言ってきましたが、皆さん興奮して手が震えていますし、飛び上がって喜びを表す人もいました。
私の友人に、イシダイ釣り専門の店を開いている名人・木村俊一氏がいますが、彼が日本一のイシダイを挙げたときのことを聞くと「意外に簡単に上がったよ」とのたまうのです。
でも、私の体験から言うとそんなにたやすいものではない。その対決に敗れた時のショックは未だに心に残っている。
南紀の口和深の磯で、会友と2人並んで釣っている時に、私の竿にアタリが出た。同時に横の釣友にもアタリが出たようで、彼が大きく竿を煽った。その瞬間、私の竿が一気に舞い込んだ。
少し高場の磯で足元が不安定で滑りそうになったが、どうにか持ちこたえてやり取りをはじめた。がま石MH5.4の竿が見事な満月を描いている。
その竿をグイグイと引っ張っていく魚、全体重をかけて、ナニクソとばかりに
リールを巻き上げていった。そしてお互いに最後の力をふりしぼっての勝負をかけた。
そしてフィニッシュと思った瞬間、竿先が軽くなった。バレタか?。でも、竿先の糸は岩肌にへばりついているので、よし勝った!と思った。そして仲間がワイヤーを持って引き上げたら、イシダイは付いていなかった。
先にはケプラーの切れ端がぶら下がっていたのである、がっくりと磯にへたり込んだ私に、横にいた友がひと言「デカかったなぁ」と。
夢にまで見るような70センチを超える大物だったのだろうか。過日、同じ磯で50センチを超えるイシダイを上げた時とは比較にならない引きの強さだった。
もう年齢的には石鯛と対戦するのは限界に来ているのだろうかと思いながらも、まだまだ挑戦したいと思っています。
全関西磯連の吉野副会長からは、「何いうてんねん、まだまだやれる、一緒に行こう!」と誘ってくれるが、迷惑をかけるようになったら退陣せなあかんと考えています。
今ではドブ川のような大阪・土佐堀川沿いに姉の家があり、この姉の家に遊びに行った時に、この川でドンコを掬った思い出がある。
今のように護岸壁で囲まれてなく、砂地の川原があった。終戦直後のことでした。
そして高校1年の頃に、大和川でハゼをバケツいっぱいに釣って帰って母にしかられた事も今は遠い思い出である。
石鯛釣りというものにのめり込んだのは、仕事の帰りに立ち寄った釣具店で、壁に飾られてあった石鯛の魚拓を見てからだったと思う。
この釣具店(庄内ダイエー内の今は無き坂本釣り具店)が、いま私が所属している北摂フィッシングクラブの発祥地でした。
当時、石鯛1匹釣るのに百万円かかるというような話でした。何で魚1匹釣るのにそんなにかかるねん?と思い、若さゆえの反骨心で道具をそろえた。
そして磯釣りのイロハも知らないのに底物釣りとやらを始めてしまった。
それから釣りたい一心でいろんなガセネタで各地を釣り歩くことになった。このクラブ自体が底物のクラブで、当時70人以上の会員さんが重たい底物竿を担いで釣りに行っていました。
当時の底物の竿といったら、今のとは比べ物にならないぐらいごつくて重たくて、
頑丈一点張りのものでした。今も自宅にあるが、子供がぶら下がっても曲がらないぐらいの竿で、リールシートもステンレスで作られている。
その当時、クラブとして南紀の串本大島と四国の牟岐大島の2ケ所を本拠地として釣り歩いていました。
今考えたら、いくらでも行くところがあるのに、その2ヶ所しか知らなかったので
例会と言えばこのどちらかでした。
「石鯛釣りの魅力は何?」と聞かれたら、なんと答えたら一番納得してもらえるだろうか。荒磯の王者としての貫禄はもちろんのこと、精悍な面構えとあのものすごいパワーにあるのではないだろうか。
60キロの人間が60センチの魚に振り回されるという現実、まして70センチを越えるイシダイとは力と力の対決が待っている。それを制したあとの感動は言葉で表すことができないものであろう。
私は初めてイシダイを釣った人と何度か握手しておめでとうを言ってきましたが、皆さん興奮して手が震えていますし、飛び上がって喜びを表す人もいました。
私の友人に、イシダイ釣り専門の店を開いている名人・木村俊一氏がいますが、彼が日本一のイシダイを挙げたときのことを聞くと「意外に簡単に上がったよ」とのたまうのです。
でも、私の体験から言うとそんなにたやすいものではない。その対決に敗れた時のショックは未だに心に残っている。
南紀の口和深の磯で、会友と2人並んで釣っている時に、私の竿にアタリが出た。同時に横の釣友にもアタリが出たようで、彼が大きく竿を煽った。その瞬間、私の竿が一気に舞い込んだ。
少し高場の磯で足元が不安定で滑りそうになったが、どうにか持ちこたえてやり取りをはじめた。がま石MH5.4の竿が見事な満月を描いている。
その竿をグイグイと引っ張っていく魚、全体重をかけて、ナニクソとばかりに
リールを巻き上げていった。そしてお互いに最後の力をふりしぼっての勝負をかけた。
そしてフィニッシュと思った瞬間、竿先が軽くなった。バレタか?。でも、竿先の糸は岩肌にへばりついているので、よし勝った!と思った。そして仲間がワイヤーを持って引き上げたら、イシダイは付いていなかった。
先にはケプラーの切れ端がぶら下がっていたのである、がっくりと磯にへたり込んだ私に、横にいた友がひと言「デカかったなぁ」と。
夢にまで見るような70センチを超える大物だったのだろうか。過日、同じ磯で50センチを超えるイシダイを上げた時とは比較にならない引きの強さだった。
もう年齢的には石鯛と対戦するのは限界に来ているのだろうかと思いながらも、まだまだ挑戦したいと思っています。
全関西磯連の吉野副会長からは、「何いうてんねん、まだまだやれる、一緒に行こう!」と誘ってくれるが、迷惑をかけるようになったら退陣せなあかんと考えています。
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