宮川明氏
彼とは大変長い付き合いです、最近は会うことも少なくなったが
久しぶりに先月彼が元気な電話をくれました。
魚釣り人生の彼は1950年に高知県に生まれてつり好きの父親に
連れられて毎日のように釣りに出かけたという。
そして15歳で大阪に転居して職人になるために釣りからはなれて修業した
この時期が魚から離れた唯一の期間であったといえる。
19歳で独立をしてそれから第二の釣り人生が始まったようです
21歳で結婚して門真市に住み大阪市に仕事に行く途中に「つり文」
という釣具屋がありそこで知り合った今は亡き山本記久氏にグレ釣りに挑戦して
こっぴどくやられて目覚めてグレ釣りにおぼれていったという。
(そしてこの山本氏が後に師匠と慕う人物となった)
そして守口荒磯釣クラブに入れてもらいますますグレ釣りにのめりこんで
いったのです。
私は大阪府釣り連盟で彼と知り合ったのですが、とにかく魚といえばグレ
グレしか目に入らない、グレキチというイメージでした。
自分のつりとしての「円月釣法」という形を編み出しての釣り。
大きな体で彼独特の釣り、体全体を竿としての釣り姿、
彼の巻けず嫌いは、まだ駆け出しの頃に、徳島の名人といわれた小里哲也氏に
「体の大きな人で釣りのうまいもんはおらんけんなー」とフイッシングショーにて言われた
そうでそれが徳島勢に勝ちたいと思い宮川独自の2段ウキへと走ったという。
写真は2000年10月新しく作ったつりの友「ノア・つりのとも」から別冊として
発行した宮川 明の特集号です。
日本で一番古かった釣り雑誌「つりの友」が廃刊して後に私の友人が立ち上げた
株式会社NOAつりのともからだしたものです。
できれば釣りの友の太田社長にあいたいものです。
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