昭和47年一番最初にやらせてもらった処理場の本館棟
34歳の時でした、まだ事務所を初めて3年ほどの時でした、僕が独立のきっかけを
作ってくださった、当時の日本上下水道設計㈱、の関西支社の村上支社長さんでした。
当時日本の3大コンサルタントとしての位置にあった日本上下水道設計は日本における上下水の
流域の仕事の多くを下水道事業団から請け負っておられたのです。
そして僕の事務所を建築土木の協力事務所として後押しをしてくださいました。
それがきっかけでその後33年の長きにわたり上下水道の建築土木の設計にかかわったのです。
以来100か所はくだらないほどの設計に従事しました、その代表的な第1号の建物ですので
見てください。
神戸の新多聞処理場です。色々な現場ではいろんなことが起きますが、
この現場は高台の下に建築されていて高台からの大き雨水管が崖から突き出されていてその先の
管がまだつながれてない時に大雨が降り、その水がまともに建屋に浸水したために、内部の壁の
乾くまで工事が1か月近く中断したような記憶があります、