私の所属するクラブもはや設立から50年目を迎えました。
大阪の阪急沿線の庄内駅の近くにあるスーパーダイエイの2階にあった
坂本釣具店の中で産声をあげました。
当時の会員さんはもう大半の方が次の世に旅立たれました。
設立されたのは、今、イカダのチヌ釣での第一人者といってよいでしょう兼松氏
そのお父さん、私が会長を任されたのはまだ釣りも一人前にできない頃でした。
当時は会員さんも50人を超していました。
そして大半の方が底物師でした。
当時は磯釣列車も天王寺から夜の確か10時45分と11時ごろだッたように覚えています。
その列車たるや釣師が磯に上がるそのままの格好で列車に乗り込んでいました。
それも我が物顔で、他のお客さんは迷惑だったろうと思います。
その当時は今のように車を持っておられる方は少なく
皆さんが列車で南紀方面に出かけました。
荷物を少なくするために着替えなど持たずに着の身着のままで釣りスタイルで
出かけていましたので、エサの匂いがついたまま列車に乗って帰るので
一般の方がたは顔をしかめておられた事でしょう。
そんな事はお構いなく車中では逃がした魚の話しに大賑わいでした。
私のクラブもその様な一員でしたが、皆さんで太いサオをかついで、イシダイやクエを
狙って紀伊半島の磯を目指してよく通いました。
当時は私のクラブはアホの1つ覚えのように「串本の大島」と「牟岐の大島」が専門でした。
串本は芝渡船で牟岐は山下渡船でした。
最後にどちらも言ったのは、もう10数年まえんびなるのかなーなつかしいです。
もうヒマ人になったのであの当時のようなあくせくした釣りでなくノンビリと
行ってこようなと思います。