えむ

私の好きなこと・興味のあること・楽しみを記録します。

日の目をみた雛人形

2008-01-31 | その他
家にあった雛人形もう何年も飾っていませんでした。
何年ぶりかで娘の家で日の目をみました。
だいぶ汚くはなっているものの着物などはまだきれいです。
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五感生活術

2008-01-29 | Weblog
文春新書「五感生活術」山下柚実
この本を読みました。現代人の五感のゆがみ喪失をどのように取り戻すかと言う内容です。嗅覚、触覚、味覚、聴覚、視覚を取り戻すためにどのようにするかという具体例があります。
その中の1つをとると、現代人はにおいが気になる人が多く、今は消臭剤などでにおいがないのいいとされていますが、においがないことで人間関係が希薄になっていることにつながります。ぬかみそのにおいでおおばあちゃんを思い出したり、匂いは人間関係や記憶とむすびついているものです。
又現代の騒がしい社会は「聴く力」を鈍化させてしまうということです。
又味覚について「マヨラー」といって何にでもマヨネーズをかけてしまう人がいたり味覚異常がずいぶん目立つそうです。

この本を読んでハッとすることが多かったのが事実です。
知らず知らずに昔から誰もが持っていた繊細な感覚が鈍くなりつつあるのかなと思いました。
あなたにとって忘れられない感覚の経験は何ですか。
これを考えると眠った感覚を呼び覚ますことになるそうです。
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鉄道博物館

2008-01-17 | 旅行
埼玉県さいたま市大宮に出来た鉄道博物館に行ってきました。
入場するのにsuicaが使えます。



実物の展示車両36両というとても広い博物館です。
鉄道マニアが行くのかなとか思っていましたが、古い列車などの展示を見ていると
その電車に乗って旅行したことが思い出され、ココは結構、中高年の懐かしい思いを一同に集めたところかも知れません。
今は新幹線全盛で特急列車はだんだん減りつつあります。でも一昔前の旅はゆっくりで景色を眺め、駅弁を食べながら、又空気が変わるのを感じながら、うつりゆく窓の外を見て旅の距離感を感じたものでした。私はいまだに鈍行のゆっくり旅が好きです。中高年のノスタルジーでしょうか。
列車は普通に見ても大きさはあまり感じませんが、上から見ると、その大きさにびっくりします。又、下から見たり、機関車の中を見たり写真を撮ったり出来ます。

そのほかに模型鉄道のジオラマ、ミニ列車運転体験、運転シミュレータ、SLシミュレータなど楽しめます。レストランは駅弁や昔の食堂車のメニューなど。

ちなみに昼食は東北線の乗務員の賄いメニュー「ハチクマ丼」を食べました。


パノラマデッキからは新幹線が通るのを近くで眺められます。

この日は平日だったのでついでに郵便局も回り実り多い1日でした。




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コンサート情報

2008-01-16 | 音楽
第6回ジェイミーのコンサート
  2008年3月6日(木) 午前11時~
  ミューザ川崎 市民交流室  2500円
 徳永二男・小川典子ヴァイオリンとピアノコンサート
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旧東海道を歩く 総括

2008-01-11 | 東海道
2002年10月に始めた東海道ウォーキング492Kmを2007年12月に完全踏破しました。2002年に1回目を歩いてからなんと2回目は2003年10月。始めは意気があがらなかったのです。
昔の人は1日に10里(女性でも6里)あるいたと言いますが、私たちは始めは1回に7~8キロ最後には20数キロ歩いたこともありました。五十三の宿場を30回に分けて歩きました。昔の旅人は順調に歩けるとは限らず、川止めや災難にあえば予定も立たず、日程は延びるし命がけのたびだったのでしょう。それで街道筋には安全祈願の寺や神社がたくさんありました。

東海道は鎌倉時代に街道整備され、織田信長が一里塚を制定、豊臣秀吉が三条大橋を建設、徳川家康が1601年に五十三次を制定し、1603年い日本橋架橋と言われます。
関所は箱根と新居の2箇所。峠は箱根峠、小夜の中山、薩捶峠、鈴鹿峠など。そのほかはあまり大変なところは少なかった。やはり箱根峠が一番きつかったように記憶しています。
古い町並みが残っているのは所々にありますが、蒲原宿、鳴海宿、関宿などが特に印象深く、この景観を残すには大変な努力が必要だと思いました。住人にとっては新しい家のほうが快適だし、古い家を残すには行政の補助がなければ出来ない。大方のところでは古い家と新しい家が混ざっていてだんだん街道の風情がなくなっていました。
古いものを残すと言う習慣は日本には少なく残念なことです。
杉並木も所々では植林され残っています。
一里塚もいくつかは残っています。歩いてみて一里塚がどんなに大切かがわかりました。歩く上での目安になりますし、疲れたとき一里塚を見るとホッとすることが何度もありました。昔の旅人の気分です。

街道を歩く楽しさはもちろん各地の名所旧跡を見る楽しさ、学校で習った歴史上の事実が起こった所、建物(ほとんど復元)を確認することがあります。でもそれだけではなく、街道沿いの老舗で昔から続くお菓子や土地の名産を食べたり、買ったりする楽しさ、又昔ながらの食事、各地の名物料理を食べる喜びは格別です。
特に思い出に残っているのは「三島のうなぎ」、「由比の桜海老」。「名古屋のひつまぶし」などです。

又街道筋には郵便局もたくさんありました。
歩くときは同じように歩いている人に何人か会い情報交換したり経験を話してもらったり交流がありました。又季節の花を見たり、京都の桜、浜松の藤など。

遠くはほとんど青春18切符を使い、夜行のムーンライトながらに乗り、宿泊は4泊。経済的な旅でもありました。

参考文献
完全東海道五十三次ガイド(東海道ネットワークの会)講談社+α文庫
歴史街道ガイド東海道を歩く(1~5)講談社 
 (この本は高いので図書館借りました。)
いい旅みつけた東海道をゆく(RECRUIT)
週刊日本の街道東海道(1~5)講談社
東海道一里塚ウォーキングガイド(東海道ネットワークの会)

自治体が出しているパンフレット(これは送料をのみで送ってもらえます。
宿場マップ 歩く知る発見する東海道(川崎~箱根)
   横浜国道事務所調査課 045(316)3537
東海道さんさくマップ(箱根~坂下)
   社団法人中部建設協会 052(962)2210
近江東海道中絵巻(坂下~京都)
   近江歴史回廊推進協議会 077(522)6268
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百人一首

2008-01-11 | その他
友人から聞いた百人一首練習用のサイトです。
これが又なかなか面白い。最初は同じ札20枚でつまらないかと思いきや、対戦相手も初級、中級、上級とあって上級になるとコンピューターのほうがかなり早くてお手上げ。すぐにもう1回、もう1回とやってしまう。私の実力は中級の下、友人との百人一首大会に向けて練習。

五色百人一首検定ゲーム 
http://homepage1.nifty.com/hokkaido-0/gosyoku/gamemenu.htm

興味があればお勧めです。
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旧東海道を歩く(第30回2004年3月30日)大津~三条大橋

2008-01-10 | 東海道
東海道の最終回をこんな早い時期に歩いてしまった。それは京都の桜を見ようと思ったため。前日のムーンライトながらで横浜を出発。7時前に大垣に到着。そこから石山まで東海道に乗り、そこから歩き始めた。琵琶湖を近くで見るのは初めて。海のように大きく湖畔はずいぶんにぎやかだった。今回は平日のため郵便局も一緒に7つも回った。湖畔を回るかたちで歩き膳所神社、芭蕉と木曽義仲の墓のある義仲寺、大津事件の碑、札の辻跡、蝉丸神社、逢坂の関跡、月心寺などを回る。この頃から雨が降ってきてしまった。街道は山科に向かい京阪線にそって歩く。蹴上駅まで来たので途中南禅寺によって桜を見た。まだ3部咲きくらい。そこで湯豆腐の昼食。それから高台寺を経て三条大橋へ。ココが東海道の終点。最後だと感慨深いかもしれないがあまりそう感情はもてない。
38000歩。帰りはぷらっとこだまのチケットが名古屋からしか取れなかったので5時過ぎに京都を出て名古屋まで東海道で行って新幹線で帰宅。
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旧東海道を歩く(29回2007年1月6日)草津~大津

2008-01-10 | 東海道
昨日のJR手原駅から11時に出発。手原駅のすぐ近くに稲荷神社があります。そこからスタート。古い町並みを歩いていると池がいくつかあってその脇に道があります。国道1号線と旧道の交叉するところに「うばがもちや」創業430年。昔の場所とはちがうそうだ。信長に」滅ぼされた佐々木義賢の曾孫を託された乳母が養育費を捻出するために街道で売ったもちといういわれがあります。草津川を渡ると道標があって東海道と中山道の分岐点があります。草津で合流するとは今まで知らなかったことです。草月りん津宿は東海道52番目の宿です。その少し先に本陣跡。ココは中をじっくり見て、あまりの広さ、又今までずいぶん有名な人が泊まっているのにびっくり。新撰組の土方歳三、皇女和宮浅野内匠頭、吉良上野介など泊まったことがあるそうです。ここで本陣料理を食べようとしましたが高いのでやめて先に進みました。大田道灌の親戚の大田酒造、野村屋(旅館)など、通り弁天池、月輪池などをとおり、瀬田の唐橋へ。「瀬田の夕照」で知られているそうです。都への関門だったこの橋は何回も戦争で焼け落ちたそうですが今は立派な鉄の橋です。そしてJR石山駅へ。ココからは大津宿で。前に歩いています。続きは又後ほど。帰りは京都まで出て夜行バスで帰宅。
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旧東海道を歩く(28回2007年1月5日)水口~草津

2008-01-10 | 東海道

4日の夜行ムーンライトながらで横浜を経ち、水口で旧友に会い、それから10時半頃歩きだしました。ココまでは2005年に歩いているので又後で書きます。
水口は1634年徳川家光が上洛する際の居城として立てられた水口城の城下町。
今も復元されて残っています。古い町並みには立派な家が立ち並び昔を思わせる古い家もあります。
特に気になったのはずいぶんたくさんの家の玄関にたぬきの置物(信楽焼き)が置いてあることです。きっと魔よけなどの意味があるのだとおもいます。

それと家の一部に赤い色を塗った桟や羽目板などを使っていることです。これはどんな意味があるのでしょうか。

水口を過ぎて石部宿。ココは宿場町。金山があったそうです。「石部の金吉」(堅実な人物のたとえ)もココからでたそう。横田の渡し(東海道13の渡しの1つ)、天保の農民一揆の碑を見てその少し先で昼食。その後弘法杉、真明寺で芭蕉の句碑を説明してもらい、旧和中散本舗(和中散の薬の老舗)、六地蔵一里塚、などを通りJR手原駅まで。大体20キロ33300歩あまり。今日の宿は雄琴温泉。琵琶湖を見下ろす場所。とっても良い温泉で足の疲れを取りました。
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旧東海道を歩く(27回2005年3月21日)関~水口

2008-01-09 | 東海道

前日のムーンライトながらで出発。早朝5:14名古屋着。それからJR関西本線で関駅へ。8時くらいに歩き出した。まず駅員に近くの宿を紹介してもらい関ロッジへ予約を入れ今夜の宿を確保。関宿は昔鈴鹿の関が会ったところ。古い町並みが大変よくのこっていてまるでタイムスリップしたようだ。郵便局や銀行も古い土蔵風の建物だ。少し歩き始めたところで旧友に電話。途中から合流して一緒に歩いた。さすが地元の人だけあっていろいろ案内していただいた。問屋場跡、本陣跡、陣屋跡、茶屋など古い家が立ち並んでいる。西の追分を過ぎ鈴鹿川沿いに歩き、坂下宿へ。鈴鹿馬子唄会館で説明を聞き、いよいよ鈴鹿峠。ココは3大難所の1つで大変なところと聞いていたがあっという間に峠についてしまい思わず「鈴鹿峠はまだですか」と聞いてしまうほど。坂はあまり急ではなかった。しかし昔は山賊などが出てやはり大変なところだったらしい。鈴鹿峠を越えると滋賀県土山宿へ。田村神社を見て、道の駅あいの土山でおそばの昼食。ココはお茶と蟹がさか飴が有名。
その後友人の家へ寄って有名な大津絵を見せてもらって又歩き続ける。水口のからくり時計を見て水口小学校で行程終了。友人に関ロッジまで送ってもらい明日にそなえる。次は関から亀山へ戻る。
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