えむ

私の好きなこと・興味のあること・楽しみを記録します。

旧東海道を歩く(第30回2004年3月30日)大津~三条大橋

2008-01-10 | 東海道
東海道の最終回をこんな早い時期に歩いてしまった。それは京都の桜を見ようと思ったため。前日のムーンライトながらで横浜を出発。7時前に大垣に到着。そこから石山まで東海道に乗り、そこから歩き始めた。琵琶湖を近くで見るのは初めて。海のように大きく湖畔はずいぶんにぎやかだった。今回は平日のため郵便局も一緒に7つも回った。湖畔を回るかたちで歩き膳所神社、芭蕉と木曽義仲の墓のある義仲寺、大津事件の碑、札の辻跡、蝉丸神社、逢坂の関跡、月心寺などを回る。この頃から雨が降ってきてしまった。街道は山科に向かい京阪線にそって歩く。蹴上駅まで来たので途中南禅寺によって桜を見た。まだ3部咲きくらい。そこで湯豆腐の昼食。それから高台寺を経て三条大橋へ。ココが東海道の終点。最後だと感慨深いかもしれないがあまりそう感情はもてない。
38000歩。帰りはぷらっとこだまのチケットが名古屋からしか取れなかったので5時過ぎに京都を出て名古屋まで東海道で行って新幹線で帰宅。
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旧東海道を歩く(29回2007年1月6日)草津~大津

2008-01-10 | 東海道
昨日のJR手原駅から11時に出発。手原駅のすぐ近くに稲荷神社があります。そこからスタート。古い町並みを歩いていると池がいくつかあってその脇に道があります。国道1号線と旧道の交叉するところに「うばがもちや」創業430年。昔の場所とはちがうそうだ。信長に」滅ぼされた佐々木義賢の曾孫を託された乳母が養育費を捻出するために街道で売ったもちといういわれがあります。草津川を渡ると道標があって東海道と中山道の分岐点があります。草津で合流するとは今まで知らなかったことです。草月りん津宿は東海道52番目の宿です。その少し先に本陣跡。ココは中をじっくり見て、あまりの広さ、又今までずいぶん有名な人が泊まっているのにびっくり。新撰組の土方歳三、皇女和宮浅野内匠頭、吉良上野介など泊まったことがあるそうです。ここで本陣料理を食べようとしましたが高いのでやめて先に進みました。大田道灌の親戚の大田酒造、野村屋(旅館)など、通り弁天池、月輪池などをとおり、瀬田の唐橋へ。「瀬田の夕照」で知られているそうです。都への関門だったこの橋は何回も戦争で焼け落ちたそうですが今は立派な鉄の橋です。そしてJR石山駅へ。ココからは大津宿で。前に歩いています。続きは又後ほど。帰りは京都まで出て夜行バスで帰宅。
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旧東海道を歩く(28回2007年1月5日)水口~草津

2008-01-10 | 東海道

4日の夜行ムーンライトながらで横浜を経ち、水口で旧友に会い、それから10時半頃歩きだしました。ココまでは2005年に歩いているので又後で書きます。
水口は1634年徳川家光が上洛する際の居城として立てられた水口城の城下町。
今も復元されて残っています。古い町並みには立派な家が立ち並び昔を思わせる古い家もあります。
特に気になったのはずいぶんたくさんの家の玄関にたぬきの置物(信楽焼き)が置いてあることです。きっと魔よけなどの意味があるのだとおもいます。

それと家の一部に赤い色を塗った桟や羽目板などを使っていることです。これはどんな意味があるのでしょうか。

水口を過ぎて石部宿。ココは宿場町。金山があったそうです。「石部の金吉」(堅実な人物のたとえ)もココからでたそう。横田の渡し(東海道13の渡しの1つ)、天保の農民一揆の碑を見てその少し先で昼食。その後弘法杉、真明寺で芭蕉の句碑を説明してもらい、旧和中散本舗(和中散の薬の老舗)、六地蔵一里塚、などを通りJR手原駅まで。大体20キロ33300歩あまり。今日の宿は雄琴温泉。琵琶湖を見下ろす場所。とっても良い温泉で足の疲れを取りました。
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