”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2009年01月11日 20時32分18秒 | Weblog
1月11日(日) 朝のうち雪がまいましたがのちに曇
今日は鏡開きです。我が家でも朝から暮れに飾った小さな鏡餅を開き、お汁粉に入れて食べました。この鏡開きは松の内が過ぎた1月20日頃だったようですが江戸時代三代将軍家光の月命日になったことから1月11日になったとされています。もっとも元々は旧暦の話ですが現在はすべて新暦で行われているのでこの種の行事には季節感のでないものも多いのです。
ところでこの鏡開きにはどんな意味が込められているか御存知ですか?
正月は歳神様(としがみさま)を祀る行事です。門松もしめ飾りも鏡餅も歳神様を迎える準備であり、歳神様と正月を過ごすことによりその年も新たな息吹を家族に与えてくれる日本古来からの行事なのです。歳神様とはその家の祖先を神格化した神様と農耕民族のシンボルである田の神様が融合して伝えられたと言われています。この歳神様は大晦日から松の内は鏡餅に宿っていると言われることから松の内には鏡餅は食べてはいけないのです。正月(松の内)が終ると歳神様は帰って行き、神様の宿った餅を割って食べることにより無病息災を祈り家族円満になると言い伝えられています。よけいなことですが鏡開きも武家社会になって餅を切ることは切腹につながる縁起の悪い忌み言葉として開くと言う言葉が使われるようになったと言われています。鏡は元々神様に供えるものだったので鏡に見立てて餅をあのような円形にしたと言われています。
七草粥とか鏡開きとか今年は古臭い行事のことを意識して書く様にしています。僕もそんなに詳しい訳ではありませんが子供の頃親から伝えられた古来の行事をこの年になってやっぱり誰かに伝えて行きたいと思うようになりました。今の世の中が混沌としているからこそ原点に戻って我々のアイデンティティをみんなに考えてもらいたいと思います。原点を忘れずにどう処して行くべきか考えた方がどこかの国の真似をするより僕はずっと大事じゃないかと思う次第です。
偉そうなことを書いてしまいましたが我々の先祖がどう考えて季節の行事を行ってきたかを考えることはこの国で1000年以上生きてきた先人の知恵を授かっていると思えばいいのです。先人の知恵はこれから先にも伝えていく義務があるような気がしています。
ヨーロッパ人は昔の遺跡や建物を国民一人一人が大事に守っているように、歴史を持った国の人たちは先人の残した知恵を大事にしています。僕は25年ぐらい前にドイツ、デンマーク等に一人で出張したことがありますが、その時一番印象深く思ったことは、街がどんなに発展していても中世の教会や遺跡を破壊することなく新しい街に同化させていたことです。自分達の拠りどころとなるシンボルとして一人一人がしっかり守っている姿勢があるからこそできることではないでしょうか?我々もずっと太古の昔からこの島で受け継がれてきた文化をもっと知るべきだと自分は思います。日本では大学受験に日本史は選択科目に成り下がっていますが歴史や文化を持った国で自分達民族の歴史を勉強しない国がどこにあるのでしょうか?
過去の不幸な歴史があったにせよしっかり我々民族の歴史と向き合うべきです。
過激な発言、大変失礼しました。
今日はこの辺で終わりにします。
コメント
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