ようやく金曜日、と毎週のように書き続けていた今月。いよいよ師走最後の金曜日である。
今日で2019年仕事納め。今年もなんとか無事1年働き続けることが出来た。この日を迎えられたこと、いくつもの幸運に恵まれたことを改めて有難く思い、素直に頭を垂れる。
昨夜は予定通りの残業。年に一度の学位申請受付で、夜間窓口クローズのギリギリまで院生さんが訪れ、修了予定全員の受付を無事終えることが出来てほっとした。クリスマスも返上で頑張ってきた彼らが、ひとまず心穏やかに年末年始休暇を迎えることが出来てこちらも嬉しい。これが例年どおり年明けの受付であれば、準備期間が延びるとはいえ、お正月返上でねじり鉢巻きになってしまうわけだから。
さて、四半世紀前、半年間にわたって北欧・西欧研修に行かせて頂いた折、私の研修課題は少子化対策だった。学生時代のゼミ論は高齢化対策だったから、気づけばなんとなく人口ピラミッドを見ながら社会の在り様にずっと興味を持ち続けてきたのかなと思う。
先日、ニュースを見ていたら今年の出生数が公表されていた。ああ、やっぱり。結局、25年経っても状況は好転するどころかますます暗礁に乗り上げているのだと唇を噛んだ。
もちろん妊娠・出産はとてもプライベートなことだし、生き方の問題だ。色々な選択肢があってよい。女性は子どもを持ってなんぼ、という発言はあり得ないとも思う。
かくいう私は、殆ど高齢出産ぎりぎりに息子を出産して来月で24年になる。公務員だったから制度的にはとても恵まれていた。取ろうと思えば育休取得だって出来た(実際は無謀にも産休のみで復帰した。)。
当時に比べれば、色々な子育て施策はそれなりに進化している筈だけれど、やはり根本的に足りないのだなと思う。
今の若い人たちを見ていて、生きづらさを案じるのは私だけではあるまい。
そんな中、今朝の朝日新聞の社説を読み、なんだか当時書いた報告書のデジャヴを見た気がした。年末の慌ただしい中、若い人たちが明るい未来を描けないのは私たち大人のせいだよな、と自責の念を感じつつ・・・。
話の締めくくりとして、その社説を以下に転載させて頂く。
* * *(転載開始)
(社説)出生数86万人 重層的な少子化対策を(2019年12月27日 朝日新聞)
国内で今年生まれる日本人の赤ちゃんが86万4千人になるとの推計を、厚生労働省が公表した。統計のある1899年以降で最も少ない。
出生数が減ることは予想されていたが、2年前の長期推計では、21年に86万9千人と見込んでいた。今回は2年前倒しで、これを下回ることになる。深刻な事態だ。
これまでの政策に何が欠けていたのか。総点検して見直すとともに、社会のありようを根本から改めなければならない。
出生数が減った理由について厚労省は、出産をする人が多い25~39歳の女性の人数が減ったこと、元号が変わるのに合わせて5月に結婚が集中し、昨年から今年前半にかけての結婚数が減った影響などを挙げる。
たしかにそれもあるだろう。だが、今回の減り方は、そうしたことだけでは説明できない。景気の影響もあるだろうが、結婚・出産をしづらい構造的な要因にも目を向けるべきだ。
子どもを産むか産まないか、いつ出産をするかは、個人の自由な選択である。しかし子どもを持つことが不安や負担を招きかねない社会の状況は、変えていく必要がある。
安倍首相は少子化を「国難」と呼び、子育て世代への支援拡充を最優先の課題に掲げる。だが、肝いりの全世代型社会保障検討会議では、子育て支援は全く議論されていない。すでに保育所の整備や幼保無償化を進めていると言うが、それでは不十分だということを、今回の数字が如実に示している。
待機児童数は4月時点でなお1万6千人を超え、潜在的な保育ニーズはさらに多い。
若い世代は手取り収入が増えず、男女の賃金格差もなお残る。長時間労働は改善されず、男性の育休取得率は6%と相変わらずの低水準だ。妊娠・出産をきっかけに職場で嫌がらせを受けるマタニティーハラスメントも後を絶たない。
子育てに悩む家庭の孤立は深刻だ。児童虐待も増え続けている。
ひとりで子どもを育てる親の税負担を軽減する措置に、未婚のひとり親を加える見直しがようやく進んだが、古い家族観や世帯モデルを前提にした制度はまだ多い。
子どものいる家庭への支援にとどまらず、結婚をためらう若い世代への支援、子育てと仕事を両立できる職場の環境づくり、企業や働く人たちの意識改革など、総合的で重層的な対応が求められる。
子どものための政策にお金を使うことは、未来への投資である。より踏み込んだ取り組みを考えるべき時だ。
(転載終了)* * *