ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2024.5.16 フェスゴ4回目+ドセタキセル3回目(6割減量1回目)+ジーラスタボディポッド3回目15日後のこと 旅は5日目 最高のピーカンの日、40年ぶりの再会叶う

2024-05-16 18:39:55 | 

 昨夜はブログアップ後、母にMeet通話。予定通りWさんサロンに出かけ、オプションのアロマフットマッサージや魚の目のケアをして頂いたそうな。母のとりとめないお喋りが止まらず。相手をしていたら、プロ野球中継を観戦中の夫から「よく喋るね~」と煩がられ、通話を切る。
 夫の贔屓のチームの勝ちが見えてきたところで、もうかなり遅い時間になってしまい、お昼がボリューミーだったせいもあり、なんとなくお腹がもたれており、ゲップも再開しているので、近場のファストフードで軽く夕食を済ませることになった。
 部屋に戻った後は早々に入浴を済ませ、手足のケアをしてからベッドに入り、日付が変わらないうちに眠りに落ちた。

 明け方お手洗いで目が覚めたのは5時過ぎ。5時間半は連続して眠れたので、二度寝は出来ず。平日仕様のスマホアラームが鳴るまでベッドでぐずぐず。待ち構えてアラームを消して、起きる。今日も降水確率零%の好天だ。
 BSで朝ドラを視てからレストランで朝食を摂る。今日はお粥チョイスの日。お惣菜は3日ローテーションということが分かった。贅沢な話だけれど、もうかなり飽きてきている。お腹は快調。今日もミヤBMとタケプロンのみでロペミンはなし。

 旅の5日目は自由行動初日。40年ぶりにMちゃんとの再会である。Mちゃんは父と同郷で、友人のHちゃんの従妹。学生時代、Hちゃんと四国を旅した時に、Mちゃんのご実家に泊めて頂き、ご両親にも大変お世話になった。彼女は私より3つ年下で先日還暦を迎えたばかり。
 出会った時はまだ高校3年生で、大学の後輩になることが決まっていた。私と同じ1990年に結婚された後はご夫君の転勤で全国津々浦々に引っ越しを重ねながら2男1女のお子さんを立派に育て上げられた。こちらに住まわれて10年以上になる。
 長く年賀状のやり取りだけで毎年「沖縄に是非遊びに来てください」と書いてくれていたが、これまでなかなか機会に恵まれなかった。ふんわりおっとりした彼女が、今や那覇マラソンどころか外国迄遠征してフルマラソンを完走され(東京マラソンは10年連続で抽選落ちしたそうな)、トライアスロンまでこなすアクティブな女性に変わっていた。今朝も5時から走ってきたと仰る。

 直前まで本当に来沖出来るかどうかという体調だったので、SNSを通じて連絡出来たのもGWを過ぎてかなりギリギリのタイミングだった。
 そんなこんなで今日は9時にホテルまでお迎えに来てくださった。夫を紹介し、見送ってもらう。
 私からはお茶かランチだけでもご一緒出来たらとの申し出をしたのだけれど、フルアテンドを考えてくれたようで、3日間の観光内容を見て、全部訪れてしまって案内する場所がない、と頭を悩ませてしまったらしい。

 まずは彼女がお勧めのお城だという世界遺産の勝連城跡に向かう。40年ぶりの再会で会話が続くだろうかという心配は杞憂に終わる。車内で近況等を話すが、お互い話が止まらず、これまでの空白を埋める感じ。学生時代、我が家に泊まりに来て頂き、父にはどこそこにドライブに連れて行ってもらったという彼女の話を、私は恥ずかしながらすっかり忘れていた。

 それにしてもピーカンのいいお天気だ。いつ梅雨に入ってもおかしくない季節なのに、北風が気持ちよく吹いて、珍しいほど爽やかで雲もない最高の日和だという。海はどこまでも美しい。
 勝連城の築城は13世紀頃、15世紀に豪族の阿麻和則(あまわり)が第十代城主となり栄華を極めたところだ。最上階の廓からは360度の絶景が楽しめる。聳えるように存在している城は、”天空のグスク”と称されることもあるという。

 昨日訪れた座喜味城とは雰囲気が異なり、小高い丘に築かれた細長い城は五つの曲輪(くるわ)から成り、城壁は琉球石灰岩の切り石を使って曲線状に形造られている。かつては手すりもない急な石畳の坂道を全て上っていかなければならなかったそうだが(Mちゃんはヒールを1足ダメにしたという)、今は坂道の途中までカートで送迎してもらえ、その後は手すりのある階段が整備されているので高齢者も上り降りしやすくなったという。
 それにしてもかなりハード。階段がない所は正直かなり怖い。足の裏もジンジン。私の体調や足の裏の痺れ等のことは事前にろくにお伝えしていなかったので、自業自得。頑張って登り、丘陵の頂きに到着すると、そこからの景色はまさに絶景。海の色が方向によって随分違う。

 再び急な石段をへっぴり腰で降りてきて、新しく出来たという“あまわりパーク歴史文化施設”の見学。土日は中高生のライブイベントがあるそうだが、平日の今日はライブシアターで阿麻和利のアニメを観た。

 続いて、昨日も通った海中道路をドライブだ。干潟ではパラグライダーやSUP(サップ)等マリンスポーツをしている人たちの姿が。中間地点にある道の駅にも立ち寄り、2階の文化資料館を見学後は、テラスから美しく広がる海を堪能する。海面はどこまでも青のグラデーションが続き、眩しくキラキラと輝いている。

 橋を渡って最初の島、平安座島でランチタイム。お洒落なカフェもいいけれど、地元で人気だという海鮮食堂へ案内される。沖縄の魚は甘辛醤油で煮ても美味しくないようで、マース(塩)煮かバター焼きがお勧めとのことで、マース煮に挑戦した。目の前の漁港で水揚げされた鮮魚を“いま魚(イマイユ)”定食として提供してくれる。売り切れ次第食堂はクローズだそうだ。私の塩煮魚はレンコ鯛、バター焼きをチョイスしたMちゃんは真鯛だった。大きな尾頭付きとお刺身、もずく酢を美味しく頂いた。

 食後は琉球創生神の伝説が残る浜比嘉島へ。女神アマミチュー(アマミキヨ)、男神シルミチュー(シネリキヨ)ゆかりの地とされ、島全体がパワースポットといわれるところだ。これでまた寿命が延びるに違いない。
 まずはアマミチューの墓を参る。島の東側アマンジと呼ばれる陸続きの離れ小島にある。多くの神が祀られており、毎年旧暦の1月1日、地元のノロ(祝女)を中心に島民が五穀豊穣・無病息災等を祈願しているという。
 海も空もただただ美しいが、霊感の強い人はここに来るだけで身体が熱くなってくるらしい。

 続いて、アマミチュー、シルミチュー夫婦神が暮らしたと伝わる洞窟へ向かう。ジャングルのような山道を上がっていく。月桃やバナナ等沖縄らしい樹々が左右を取り囲んでいる。前方には108段の長い石段が聳え、二重鳥居になっている。
 ここまで来て、お参りせずに帰るわけにはいかない。頑張ってゆっくりと登って合掌。洞窟前に敷き詰められた石と思われたものはサンゴのかけらだそうで、手に取って見せてもらうとなるほど、である。ただし聖地のものは記念に持ち帰ることは許されず、そのまま置いて戻ってきた。

 今日のスケジュールはこれで終了。途中でお茶が出来るカフェに寄れれば、とお願いしたのだけれどなかなか適当な立ち寄り場所がなく、そのままホテルまで送って頂いた。東京に来ることがあれば、是非連絡を、とお別れした。朝から6時間弱車内ではほぼ喋りっぱなし。
 ピーカンの素晴らしいお天気のドライブとランチの後、あまりに喋り過ぎたのか、喉が渇いてカラカラ。ロビーでちょっと一休みしながら、一人観光に出かけた夫が今どこにいるのかを確認する。

 すぐに帰ってこられるようならどこかカフェで待ち合わせしようと連絡をすると、まだ30分はかかりそうという。では、と隣のコンビニでアイスカフェラテを調達して部屋に戻った。助手席でのドライブでサングラスをかけた顔も手袋と五分袖からはみ出した腕もこんがり焼かれた感じ。

 ほどなくして夫が帰ってきて、お互いに今日の写真を見ながらあれこれ報告。夫はゆいレールの2日券を購入して、空港へ飛行機見物に行ったり、再建中の首里城へ行ったり、電動自転車を借りてあちこち散策をしてきた模様。私と一緒では自転車回りは出来なかったので、それはそれで楽しかったようだ。
 さすがにお疲れのご様子で、お茶とお菓子で一服した後は、お夕寝中である。

 ということで、40年ぶりの嬉しい再会を果たすことが出来た。こうして遠くに住むお世話になった方とお会いしておくという私なりの“終活”は順調に進んでいる。残念なのは数年前京都に引っ越した、Mちゃんの従姉である友人Hちゃんと30年ほどお目にかかれていないこと。
 ご両親の介護のため京都と実家を頻繁に往復しているとのことで、去年の春、1週間の京都滞在時に再会が叶わなかった。タイミングが難しいお年頃なのである。

 母にMちゃんとの写真をLINEで送ったら、それを見て操作を間違ったらしくLINE電話がかかってきた。応答して報告を済ませ、夜の定期便はなしということに。
 今日こそ繁華街まで夕食を摂りに行く予定である。
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