ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2019.2.23-24 通院用に買い求めた筈だったけれど・・・

2019-02-24 20:37:26 | 読書

 2月最後の週末だ。来月からは、これまで3週間に1度だった通院が2週連続3週目休み、と倍になることが確実になった。このところすっかりペースが落ちていた読書の時間も倍になる!ということで新刊の新書を数冊買い求めた。
 それが手に取ってみたら止まらなくなって、結局この2日で2冊を読んでしまった。

 1冊目は坂井律子さんの「<いのち>とがん 患者となって考えたこと」(岩波新書)。
 この朱色に黒のひらがなだけの表題がいきなり目に飛び込んできて、迷わず手に取った。既に著者が他界されているとも知らず。

 この本を読み始める前に、たまたま本書を紹介した朝日新聞の記事「がんとともに がんのTVディレクターが知った『死の受容の嘘っぽさ』」を読んで息を呑んだ。
1960年生まれで、私より1つ年長でおられるけれど、就職は1985年だから働き始めたのは男女雇用機会均等法施行前の同期社会人だ。我が息子より少し年長の一人息子さんがおられる家族構成も同じ。
 私は患者歴が既に15年近くになっているので、仕事に至っては細々と・・・のフルタイマーだけれど、この方は2016年4月に山口県への単身赴任を終えて東京に帰任後、ほどなくして進行した膵臓がんが発覚する。NHKのディレクター、文字通りバリバリのキャリアウーマンである。福祉や医療の番組を制作され、ライフワークは出生前診断をどう考えるかだったという。

 この本は、手術ときつい抗がん剤治療を乗り越えた挙句、再々発の告知を受けた昨年2月から亡くなる11月にかけて書かれた書である。あとがきは病室で口述したものを息子さんが筆記したそうだ。保育園の帰路に息子さんが好きだと言った「ホソイオツキサマ」のエピソードから、三日月の写真を撮影されたのも息子さんだという。
 2年半余りの、ご本人も書いている通りのジェットコースターのような闘病生活、復職はついに叶わなかった。けれど、TVの伝え手としてより正確に真実を記そうとしつつ、死を見つめる一人のがん患者としての揺れる思いに徹頭徹尾ノックアウトされた。

 副作用の味覚異常で、食べられたものリストでは酸辣湯や冷やし中華、ジャンクな味の濃い焼きそば等、あまりに似ていたので、勝手に、そうそう、と親近感を持ったり。都内とはいえ、自宅からは遠いのでまだ訪れたことがないが、一度行ってみたいと思っているマギーズセンターの様子を興味深く読んだり。
 5歳年下の友人カメラマンに乳がんが再発し、昨年6月に見送ったエピソードにも胸を揺さぶられた。遺影はスキンヘッドだったが、棺の中の彼女には2ミリ程度の黒々とした髪の毛が生え始めていたという。生きたかったんだろうと思う・・・、というくだりに目の前が見えなくなった。
 胸腺腫で亡くなられたお父様が最後まで治療法を模索しておられたことも。

 死の受容なんて嘘っぱち、きれいごと。本当にそうなのかもしれない。心穏やかに、潔くなどとわかったようなことを言っている私だけれど、死を受け入れてから死ぬのではなくて、ただ死ぬまで生きればいいんだと思うーという彼女の魂の叫びにも似た文章に、やられた。

 2冊目は片田珠美さんの「一億総他責社会」(イースト新書)。
 なぜ他人の幸福や、活躍が我慢できず、「自分だけがつらい」と訴えるのか。気鋭の精神科医が迫るという帯につられて、手に取った。

 現代社会の行き詰まり感、閉塞感に苛まれている人は多い。
「互いに被害者意識を抱き、刺し合う現代社会。ベテランと若手、正社員と非正規、家庭持ちと独身、男と女、夫と妻・・・。立場の異なるものが互いに『自分だけが損している』と訴え、相手の悪口を言う。ときには「自分は“被害者”なのだから、“加害者”である相手に鉄槌を下す権利があるはず」と信じて攻撃する。誰もが被害者意識を抱いて不満と怒りを募らせ「自分だけがつらい」と訴える現代社会の構造を分析する。実際に診察したケースや時事問題などの具体例を挙げながら、より弱い者に怒りを向け帰る「置き換え」となんでも他人のせいにする他責的傾向をキーワードに鋭く切り込む」~という惹句にあるとおりで、のっけから巻き込まれるように読み進めた。

 程度の差こそあれ、不平等を嘆き、妬み、羨むのは哀しいかな、人の性(さが)なのかもしれない。けれど、羨望の対象の失墜に熱狂する世間、弱った人をここぞとばかりバッシングする悪意に満ちた匿名のネット世界等のエピソード等、背筋が冷たくなる感じ。
 矛先がずれた無関係の相手に怒りをぶつけられてはたまらないし、怒りをため込んで病気になってもたまらない。

 過度に要求されるコミュニケーション能力、空気を読めという無言の圧力の結果として、鬱憤をぶつけられるサービス業の方たちは本当に気の毒だ。悪質なクレーマー、モンスター○○級の人たちの増加も恐ろしい。
 最終章では、こうした現代社会~平成から次の御代への過渡期~を生き抜く処方箋が記されている。
 身も蓋ないと言われても、魔法のような解決策はないというのは正直なところだろう。そして格差が拡大する中で、公平さを望みすぎるな、他人と比べるな、とあるが、つまるところそうなのだろうと思う。

 他人(ひと)と比べることはどんどん自分を辛くする。努力したら報われるならそれがベストだけれど、実際は必ずしもそういうわけでもない。それでもたゆまず腐らずコツコツと続ければ必ず見ていてくれる人はいる-これは間違いない事実だと思う。やっても無駄だから、と放置したって何も始まらない。事故だって病気だって、畢竟、運・不運の問題だ。自分の置かれた場所で自分が出来ることを精一杯やるしかない。
 自分自身の不遇を他の誰かのせいにして幸せになった人はいない・・・そのことを忘れてはならないという一行に凝縮されている1冊だった。
 
コメント
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