新年早々、職場で悲しいお知らせに接した。
昨年4月に他大学に栄転された方が年末に亡くなったという。思わず耳を疑った。私より5歳年下の40代。部位は違えどやはり同じ病だった。
昨年の2月だったか、体調を崩し1ヶ月ほど病気休暇を取られていた。3月の卒業式には久々にお姿を拝見し、ご挨拶をしたが、随分痩せて色白になっておられていた。大丈夫かしら、と思ったのを覚えている。
その後も治療が続いていたとは伺っていたが、まさかこんなに早く・・・と絶句する。
私は3月以来お目にかかる機会がなかったけれど、夏には片付けのためにこちらの研究室にも見えていたそうだ。その時は食事も何でも召し上がってお元気そうだったと漏れ伺った。新天地で頑張っておられたようだ。
ところが、11月に再び体調を崩して入院され、そのまま還らぬ人になったという。
最初の手術に至るまでの状況を窺い知ることはできないけれど、自覚症状があるにもかかわらず無理をされていたのかどうか。
既にステージ4だったというが、化学療法を続けながら前向きに仕事をされていたという。
11月の入院に際しても、ご本人はまた良くなって年明けには復帰されるつもりだったそうだ。
喪主がお父様というのを拝見し、ああ、逆縁だったのか、と唇を噛む。なんともやり切れない気持ちだ。
自分より年下の方たちが、部位は違えど同じ病で余りに早く旅立ってしまわれるという厳しい現実。こうした訃報に触れるたびに、なぜ、自分はまだ生かされているのだろう、と身体中に突きつけられるような痛みを感じる。
お前の方が、先でなくてよかったのか、なんでお前はまだ生きているのか、とどこからともなく言われているような錯覚に陥って落ち込むことがある。
再発治療も8年を超えた。再発当初は50歳を迎えられないかもしれない、息子の成人式を見ることは叶わないかもしれないと、あれこれ騒ぎ立てながら、今もこうして生き永らえることが出来ている自分。
私は、無念にも旅立たなければならなかった方たちに対して恥ずかしい生き方をしていないだろうか、と自問せざるを得ない。
これからも生きている限り、自分が生かされている意味について自問自答を続けながら日々を重ねていくのだろう。そして、それでも生かされていることに日々感謝して、きちんと前を向いて治療と向き合っていきたい。―そう改めて思わされる新年早々の悲報であった。
昨年4月に他大学に栄転された方が年末に亡くなったという。思わず耳を疑った。私より5歳年下の40代。部位は違えどやはり同じ病だった。
昨年の2月だったか、体調を崩し1ヶ月ほど病気休暇を取られていた。3月の卒業式には久々にお姿を拝見し、ご挨拶をしたが、随分痩せて色白になっておられていた。大丈夫かしら、と思ったのを覚えている。
その後も治療が続いていたとは伺っていたが、まさかこんなに早く・・・と絶句する。
私は3月以来お目にかかる機会がなかったけれど、夏には片付けのためにこちらの研究室にも見えていたそうだ。その時は食事も何でも召し上がってお元気そうだったと漏れ伺った。新天地で頑張っておられたようだ。
ところが、11月に再び体調を崩して入院され、そのまま還らぬ人になったという。
最初の手術に至るまでの状況を窺い知ることはできないけれど、自覚症状があるにもかかわらず無理をされていたのかどうか。
既にステージ4だったというが、化学療法を続けながら前向きに仕事をされていたという。
11月の入院に際しても、ご本人はまた良くなって年明けには復帰されるつもりだったそうだ。
喪主がお父様というのを拝見し、ああ、逆縁だったのか、と唇を噛む。なんともやり切れない気持ちだ。
自分より年下の方たちが、部位は違えど同じ病で余りに早く旅立ってしまわれるという厳しい現実。こうした訃報に触れるたびに、なぜ、自分はまだ生かされているのだろう、と身体中に突きつけられるような痛みを感じる。
お前の方が、先でなくてよかったのか、なんでお前はまだ生きているのか、とどこからともなく言われているような錯覚に陥って落ち込むことがある。
再発治療も8年を超えた。再発当初は50歳を迎えられないかもしれない、息子の成人式を見ることは叶わないかもしれないと、あれこれ騒ぎ立てながら、今もこうして生き永らえることが出来ている自分。
私は、無念にも旅立たなければならなかった方たちに対して恥ずかしい生き方をしていないだろうか、と自問せざるを得ない。
これからも生きている限り、自分が生かされている意味について自問自答を続けながら日々を重ねていくのだろう。そして、それでも生かされていることに日々感謝して、きちんと前を向いて治療と向き合っていきたい。―そう改めて思わされる新年早々の悲報であった。