ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.8.9  備えあれば憂いなし

2010-08-09 06:37:26 | 日記
 先日火事にあわれたSさんのお話を伺って、本当に大切なものはいつも枕元にひとまとめにしておく習慣をつけなくては、と思った。

 もちろん命あってのもの種だけれど、夜中に火事や地震に見舞われたとき、非常持ち出しのものをあれやこれや探している時間はないだろうから、あちこちに散逸していれば、みすみす全てを失うことになってしまう。翌日身につける衣類もきちんと準備して枕元にセットしておくことが出来れば、着の身着のまま、パジャマ姿で途方にくれることもない。毎日の習慣にしてしまえればよいのだろう。

 けれど、携帯、免許証、カード類の入ったお財布、通帳、印鑑、保険等の証書類。それに加えて病院関係の診療券やもろもろの治療記録類。ちょっと考えただけでもかなりの量だ。いつもきちんと整頓して枕元に、と言ってみてもそう簡単なことではなさそう。もちろんカード類については再発行してもらえるだろうけれど、その都度必要な再発行手数料、さらにはその手続きにとられるウイークデーの時間等を思うと本当にくらくらする。

 昔、息子がまだ生まれていなかった頃のこと。義母と3人で海外旅行に出かけたことがある。義母は初めての海外旅行。行き先は近場のグアム。夜便だったので、夫と私は仕事を終えてから本当にお気楽に体一つで空港へ行った。荷物はみんなスーツケースの中、だった。当時まだ田舎で一人暮らしをしていた義母の荷物は、あらかじめこちらに送ってもらって既にスーツケースに納まっていたので、当日実に大きなボストンバックで現れた彼女に、私は正直のけぞった。さらに2泊3日出来そうなほどの大荷物だったから。
 が、結果は、義母の勝ちだった。

 飛行機が離陸してすぐに不具合が判明。空の上で旋回しつつ強引に機内食だけ食べさせられて空港に戻ったのだ。夜中のこと、ぐったりしてバスに乗りこみ、ホテルをあてがわれて1泊。翌朝一番の便で出発することになった。夫と私は替えの下着や着替えも持たず、がっくり。義母は2泊3日の荷物が入ったボストンバックから着替えを出して化粧を落として入浴後、しっかり熟睡。翌朝もたっぷり食事をとって元気いっぱいだった。かたや夫と私は最低限の下着類等を売店で調達、ろくに眠れず翌朝食欲もなく、よれよれの出発だった。

 結果論だが、何があろうとも常に2泊3日分の荷物を持って歩いている人にはかなわない。いつもはなるべく少ない荷物で、が旅のポリシーだが、備えあれば憂いなし、を実感した出来事だった。
 それ以来、わが家の旅行荷物はやけに多くなった。使わずに持ち帰ってくるものも少なくないが・・・。

 わずか3泊の旅行だったから、翌日、翌々日とまるまる向こうにいられるのは2日だけのスケジュールだった。だからこの出発時の飛行機のトラブルで半日無駄になったことは痛かった。
 それでも前向き思考の義母は「こんな経験はしたくてもできないし、普通は泊まれない成田のホテルに(無料で)泊まれて良かった、良かった。」と喜んでいた。

 帰りの荷物はさらに凄かった。お餞別を皆から頂いてきたということで、手ぶらで帰るわけにはいかない、と。もっと小さいものではどうかとか、軽いものがいいのではないかなど、とお願いしてみてもどうしても聞き入れてもらえず、荷物持ちと化した夫が大量のチョコレートを引きずって帰った。
 今では笑える懐かしい思い出である。

 昨夕、帰宅した私たちより一足後に洗濯物がたっぷり入ったスーツケースが届き、大量の洗濯物を干したと思ったらいきなり夜半から雨。厳しい暑さは一休み、で体にとっては嬉しく良く眠れたのだが、今日の夜にも第二段の洗濯物が届くと思うと、ちょっと憂鬱な月曜日である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする