ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.8.15 究極の接客業

2010-08-15 07:28:55 | 日記
 医師という職業は、“究極の接客業”だと思う。なぜ?と思われるかもしれないけれど、毎週通院している一患者として、日々実感する。

 接客業と言うと、一義的にはショップの店員さんやレストランや美容院等で働く人たち・・・といったいわゆるサービス業に従事する人たちを思い浮かべるけれど、決してそれだけではないと思う。

 もちろん医師や看護師といった医療従事者の方たちは、高度な技術と資格を持つ専門職だが、何より海千山千(!)の患者と日々対峙していかなければならない職業だ。モンスター・ペイシェント等の話を聞くにつけ、朝から晩まで身を粉にして働き、さらには土日まで休みもなく働いているのに、なんて気の毒だろう・・・、と思う。
 セカンド・オピニオン等が浸透する中で、患者は医師を選ぶことが出来るようになっているが、逆に医師は患者を選べない。最近では私たち患者のことを「患者さま」とまで呼ぶ病院も多い。(これについては、個人的にはちょっとムズムズするので、「患者さん」で十分だと思うけれど・・・)もちろん医療関係者が患者にこびる必要は全くないけれど、あらゆる患者やその家族といった関係者たちとコミュニケーションがうまくとれなければ、実際のところ仕事にならないだろう、と思う。

 こうして考えてみると、どんな職業もつきつめてゆけば接客業だといえるかもしれない。人として組織の中で仕事をしていく上で、相手が“お客様”という関係ではなくても、他人(ひと)と全く関わらない仕事はないだろう。そして他人(ひと)と仕事をしていく上で、お互いにより良い関係を築き上げられるのに越したことはない。

 中には接客を天性としているかのように、特別な努力もしないでどんな相手ともごく自然にすんなり良い関係が作れる人もいるかもしれないが、仕事として(お金をもらって)やっていくなら、大半の人にとってある程度の努力は絶対に必要だろう。
 もちろん患者が医師等の医療関係者とより良い関係を作っていくためにも、当然それなりの努力が必要だと思う。

 人間のことだから、当然相性もあるだろう。それでも医師が、命に関わる切羽詰った要求をもつあらゆる患者を相手にしなければならない“究極の接客業”である、と思えれば、お互いより良い関係が築きやすいのかもしれない。もちろん医師(相手)にへりくだる必要はないが、自分の言葉で自分の現状(容態)なりリクエスト(希望する治療等)がきちん正確に伝えられること、何より自分はあなたという医師の治療を受けて良くなりたい(あるいは今の状況を維持したい)のだということ、そして、そのためにはある程度の犠牲も受け入れながら、自分のライフスタイルを大切にしつつ治療を続けていきたいのだ、と真摯な姿勢で示していければよいのではないかと思う。

 今日は65回目の終戦記念日。
 小学生の頃、長い夏休みの間にこの日が全校一斉登校日だったのは、終戦記念日と関係あるものだと勝手に思っていた。が、今となってみれば、この日は公務員の給与支給日。当時は口座振込みではなく現金支給だったから、先生たちは学校に出てくる必要があったのだな、などと気づいてしまってからはちょっと複雑・・・な日になった。
コメント
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