アンニョンおじさんの韓国語・中国語・英語学習日記

ハングル能力検定1級、HSK6級、中検2級、英検2級のさらなる挑戦と鹿児島韓国語教室アンニョンクラブの感想を綴ります。

外国語は迫られないと身に付かないのか。

2019-10-21 23:34:28 | 外国語一般
こんばんは。

本日書店に行って何気なく英語関係の雑誌を見ていたら、トリリンガル(3カ国語を話す人)
だと言う方々の対談記事が載っていました。

そこに「外国語は迫られないとなかなか身につかない、だから自分をそのような環境に
おくことがよい」というような話をしていました。

自分を何らかの強制力の中において、学ぶことの意義を否定するものではありませんし
時にはそのような環境を作って学べば効果があると思います。

でも、根本的に上記の考えには違和感を覚えます。

自分の外国語学習は「楽しみとしての外国語」だと重々自覚している私としては、楽しみ
のパワーで、どんな人でもこつこつ学びさえすれば、ある程度のレベルの外国語を話したり
読んだり、聞いたりできると声を大にして叫びたいです。

「迫られないと身につかない」という考えは、とても危険なメッセージをはらんでいると
思っています。

私が20前後の頃、何かの本で「外国語は迫られないと身につかない」という文言を見た事が
ありますが、その時に「全然、外国語に迫られることはないので、自分には外国語学習は無理だ」
と思い、35歳で韓国に出会うまで一貫してそう思っていました。

韓国語に出会ってから完全にその考えは間違いだと、気づきました。

韓国語学習の楽しさにどっぷりはまり、「こんな楽しい言語に出会えて自分はなんと
幸せな人間だろうか」という気持ちで、毎日を過ごしていました。

(なお、韓国語学習の動機は当時勤めていた高校が修学旅行で韓国に行っていたので、私も
担任としていつか韓国に行くだろうから、その時は簡単な挨拶ぐらい韓国語でしようと思って
始めました)

楽しいには勢いがあります。

私の韓国語は楽しいの勢いで学んできました。

また、人間にはなにか新しいことに挑戦したいという欲求や、向上したいという欲求が体の
中に内在されていると思っています。

ですので、根本的に迫られて学ぶという感覚とは逆です。学ぶ自由もあるし、学ばない自由も
すべて学習者が握っています。

(面白くなくなったら、いつでも無理しないでやめたらいいです)

この学ぶ自由、学ばない自由を自分の手に持っているという自由の感覚が更に、学習者の学ぶ
意欲を高めると思います。(ただ、自分の意志で時には枠をはめて頑張るときはあります)

また、この雑誌の中で「しゃべるようになりたいというような漠然とした目標が学習を挫折
させる大きな要因だ」とも言っていましたが、私は全然そう思ってないです。

しゃべれるようになりたいというあこがれが、どんなにか私の学習を後押ししているか
分からないです。

今日、改めて「楽しみとしての外国語学習」が私の人生に喜びを与えていると、再確認して
います。

これからも、この気持ちでこつこつ取り組んでいくつもりです。

最後に本日は以下の学習をしました。

韓国語100分(電話レッスン、ことわざ)

中国語110分(電話レッスン、中国語口語表現)

英語4時間(高校2年教科書、ラジオ英会話、エンジョイ・シンプル・イングリッシュ)








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