いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第421週

2022年12月10日 19時13分55秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第421週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の筑波山

■ 今週の丹沢

座間から

■ 今週の東京

神宮外苑の銀杏並木

■ 今週のフェンスの向こうのアメリカ

座間谷戸山公園

■ 今週の巷の<アメリカ>

茨城県取手市 ヘアサロン リリアン

■ 今週のアクセスページ

融合:東アジアの奇跡におけるアメリカの影;杉原薫、『世界史のなかの東アジアの奇跡』

■ 今週の「中二病」

【出演】関西外国語大学准教授…戸谷洋志

12月のテーマは「哲学」。若手哲学研究者たちが、現代特有の問題をどう考えればよいのか解き明かし、哲学が本来持っている力に迫ります。価値観が多様化・複雑化の一途をたどる現代社会で自分の行為に責任を持つことは、市民として大切な素養ですが、一方で私たちは自分の責任を忘れがちです。第1回目は、関西外国語大学准教授の戸谷洋志さんが、西洋哲学における「責任」の概念の成り立ちを遡り「責任」とは何か考えます。web site

聴き逃し番組をネットで聴く: カルチャーラジオ 日曜カルチャー「人間を考える 今をよりよく生きるための哲学1」

西洋哲学における「責任」の概念」:この講演は、責任を論ずる前に、まず、決定論。この世は原因ー結果の因果律により律せられているはずである、との認識。この世の行方が決定されているのであれば、人間の判断も決定されているので、意志の自由はない。意志の自由がないということは、責任を問うことはできない。しかし、そんなことはなく、人間は自由であり、責任を課せられているということを、ふたりの哲学者、カントとハイデガーを紹介することで、示す。カントは、因果律により律せられているのは現象界であり、人間の意思は「物自体」界に属さないとすれば、人間の意思は因果律により律せられているとはいえず、人間の自由が担保されるのだという。人間の意思は叡智界に属するとカントは主張する。ただし、叡智界という発想は形而上学的で、実証できない。



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