いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

ある戦争画: 藤田嗣治の肖像素描画;「戦場の女」@最初

2015年05月21日 20時11分58秒 | 日本事情

2度魯迅に会っている林芙美子は、魯迅が死んでまもなくの頃、藤田嗣治 (愚ブログ関連記事群) に肖像素描画(ポートレイト・スケッチ)を描いてもらっていると、おいらは、今週知った。

昭和13年、漢口攻略戦のときである。

従軍作家たる林芙美子が、従軍画家たる藤田嗣治とすれちがったのだ。

大日本帝国のありし日のひとこまではある。

藤田嗣治による林芙美子の肖像素描画は、林芙美子、『戦線』 (昭和13年刊行、朝日新聞社)で見つけた。

古本屋から通販で買ったのだ。 

林芙美子が漢口攻略戦に参加して、漢口に「一番乗り」した話の本があると知って、求めた。

でも、朝日新聞社刊、とは知らなかった。

朝日新聞といえば、時流のおためごかし的大義を唱えては、商売してきたやつらだ。

宗主国米国が嘯く"民主主義"の体制下では 、民主主義を! (← 今です。)

大日本帝国後期の大衆社会では、戦争翼賛を! (← 戦前です。)

朝日をはじめとする近代大手新聞社は戦争で発行部数を伸ばした。 特に「15年戦争」で。軍隊は日本国内各地 方で部隊化され中国だの南方だのに出征する。つまりは郷土の部隊だ。 あの部隊はどこそこを占領した。この部隊は玉砕した。仙台の部隊は快進撃だ!、札幌 の部隊はアッツ島で玉砕した!。なんとか少尉は千人切りした軍人の鏡だ!、なんとか二等兵は戦争がいやになって仙人になった国賊だ!などと報道するのであ る。息子や夫を戦地に送っている家族は必死に消息を知ろうとするから新聞を購読する。郷土の部隊の消息を知り、応援するために。 愚記事より)

林芙美子、『戦線』は、朝日新聞社 漢口 刊行物なのだ。

われらが極右の諸君! 朝日を消せ!(google)というではないょ。

半位相ずらせば、朝日は、宣戦大詔謹解、朝日新聞社刊シンガポール陥落を祝い、何より、米英撃滅国民大会を主催した、そして、戦線(当愚記事)を出版する、本質的に、お調子者なのだ。

汎日朝日と反日朝日は、sinとcosみたいものだ。π/2の位相差しかないのだ。

そして、お調子者のおいらが買う本は、やはり、朝日新聞社刊だったのだ。 うかつだったよ。


朝日のような夕陽、夕陽のような朝日;

きれいはきたない、きれいはきたない;

さぁ、朝日のような夕陽を連れて、飛んでいこう;

世の中のイロハではないか!

さて、林芙美子。

朝日新聞社の仕立てた無線発信設備を備えたトラック(アジア號、という名前)で南京陥落の後、漢口へ逃げる蒋介石軍を追撃する皇軍に追従。

 薔薇色の澄んだ夕焼がの兵隊たちの顔を赤く染めています。私はここへ今夜は露営するのかと思っていましたところ、渡辺さんは「もっと前進するんだ!新州まで飛ばせ!」と寺田君に命令をしています。暗い凸凹道を、一つになったフット・ライトでアジア號はぐんぐん進んで行きます。ダウンと、何かに乗りあげては突き進んでいますが、この狭い道では、何度となく支那兵の死體の上を乗り超えて行きました。

支那兵の屍を乗り越えて、漢口に乗り込んだんだよ、林芙美子。

林芙美子は、戦争の使命を語る;

 ねえ、この戦争の使命は、老いたる大陸に一つの新しいバイブレイションを捲きおこすのですよ。兵隊は実に元気です。

そして、漢口で、林芙美子は藤田嗣治に肖像素描画を描いてもらったのだ。

なお、藤田嗣治は、漢口陥落後、船で、「のんびり」来たらしい。

林芙美子、『戦線』、朝日新聞社、昭和13年刊行、にある、藤田を写した写真。

そして、林芙美子は、自画像も描いて、『戦線』に載せている;

■ 藤田嗣治の描画;「戦場の女」たち@最後

藤田嗣治の「サイパン島同胞臣節を全うす」は、彼の最後の戦争画とされている。

戦場の女たちが描かれている。

1938年の最初の「戦場の女」は牧歌的作家ではあった。

「サイパン島同胞臣節を全うす」の戦場の女たちは、みんな、死ぬのだ。

もっとも、「サイパン島同胞臣節を全うす」は内地で、描かれた;


google 画像 藤田嗣治 サイパン島同胞臣節を全うす。 この絵は、東京国立近代美術館に常設展示。いつでもみれる。「アッツ玉砕」と同じブースにある。

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