いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

ぶどうの木再生日記;第51週目

2014年03月08日 12時13分56秒 | 草花野菜

■ 今週の筑波山麓

■ 今週の常磐線


  利根川鉄橋

■ 今週の防火活動


   ― JRひたち野うしく駅 ―

■ 今週の再現実験に必要な物質


 KC 1 : ポルトランドセメントの一商品
 (関連愚記事:好きなデザイン; 普通ポルトランドセメント、の袋のたたずまい

■ 今週の 通し


Google ニュース:  ::優秀な研究者の確保に向けて、高額の報酬を支払うことができる「特定国立研究開発法人」に「理化学研究所」と「産業技術総合研究所」を指定する::

優秀な研究者を!   

■ 今週の看猫


 御簾猫 みけちゃん

● 今週の墨塗り新聞

 
3月6日の朝日新聞  Google

■ 今週の院長


http://blog.livedoor.jp/seserara-geinou/archives/37430264.html

ネットで浅田彰(現、京都造形芸術大学大学院院長)がビートたけしと一緒にテレビに出て、しかも極めて"保守的"な発言をしていると知って2重に驚いた。

浅田彰は1990年4月(いまから見ればバブル真最中)に雑誌「季刊思潮」第8号での討議「昭和批評の諸問題     一九六五-一九八九」(のち、『近代日本の批評〈昭和篇 下〉』に収録出版)において下記発言している (討議参加者は、浅田彰、柄谷行人、蓮實重彦、三浦雅士)

浅田 そう、八五年以後はフローとしての所得の平準化よりもストックとしての資産の不平等化のほうが強く意識されるようになる。だけど七五年頃から八五年頃までは「一億総中流」といわれる時代で、経済的にも文化的にも恐るべき均質化が進行した。たいていの国ではいまでも金持ちと貧乏人、知識人と大衆がいるのに、日本にはそういう区別がないことになった。したがって日本では誰もが「知識人」ということになり、知を消費してきた。これはたしかに、簡単によその国が模倣しうるものではないわけですよ。

柄谷 実際言って、ビートたけしが政治論をやったり文化論をやったりしているわけで、これはハイアラーキーの「転倒」という域を通り越しているよ(笑い)。

浅田 ぼくもビートたけしに批判されています(笑い)  (下線強調 いか@)

上記、ハイアラーキーとは hierarchy = ヒエラルキー::上下が決まった階層体制のこと。つまり、柄谷行人は政治論をやったり文化論を「やる」ことには上下の決まった階層があり、本来ビートたけしはその階層構造で最下位にあるべきものである。しかしながら、実際はビートたけしが一番「偉そうに」政治論をやったり文化論をやったりしている。これは転倒であり、度を越している、と言っているのだ。

それに呼応して、浅田彰は、「ぼくもビートたけしに批判されています」と自虐的に笑いを誘っている。この発言は本来は政治論をやったり文化論を「やる」ことでは最上部の階層にいるはずの自分が最下層の「漫才師」に批判されちゃってんだよねぇ、という意味としか解釈できない。

時は流れた。 四半世紀。 今じゃ、たけしはフランスの芸術文化勲章の最高章コマンドゥール受賞者だ。

おフランスでは、たけしと浅田彰はどちらが有名なのだろう?

そして、京都造形芸術大学大学院院長さまの浅田彰が見る日本の姿は、経済的には「一億総中流」社会の崩壊、格差社会と騒がれる「金持ちと貧乏人」が出来することとなった「たいていの国」のひとつの姿だ。普通の国へ!何だ、浅田は1989年から隠れ小沢信者だったのだ。

さて、この夜の話題になった発言。浅田彰はこういったとネットには書いてある;

最終的には中国や北朝鮮に関して、日本と韓国は仲良くしなくちゃいけないんですから、むこうの大統領がどういう方であれ、こちらがある程度折れて、仲良くしたいという風には思いますけどね

韓国と仲良くすべし。そしてその理由が中国や北朝鮮問題があるから韓国と仲良くしなければいけないというものだ。対中、対北朝鮮への牽制のために戦略的に仲良くすべしと言っているのだ。その達成のためには歴史問題・謝罪問題で妥協して、こちらがある程度折れて、仲良くすべしと言っているのだ。

つまりは、結果的には、これは米国の東アジア戦略の方針に沿っている。何のことはない、リアリズム親米保守主義の考えである。「ポチ保守」並みの見識ってことだ。

別に浅田は韓国の本来的価値を認め、日韓関係を構築していこう!と主張しているのでもなけれれば、歴史問題をなんとかしようというような主張をしているわけでもないのだ。

ただ、中共や北鮮との戦争に備え、韓国とは戦略的に仲良くしなければいけないので、その場凌[その] ぎに「こちらがある程度折れて、仲良くすべし」と言っているのだ。

                   
 「土人」の納税で一生食税     多額納税者@「土人」の偶像
身過ぎ世過ぎで、その場しのぎ  文化的にも恐るべき均質化=勲章にペンキを!

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【悲報】 質の低い日本科学技術; 特亜並み、いやむしろ中国に抜かれる

2014年03月05日 18時20分11秒 | 日本事情

― 相互に無関係な要素をたくさん集め、シェーカーに入れて振ってみても、とても物理・化学 というカクテルがつくれるわけはない。物理・化学の形成という問題を大雑把に考えただけでも、広い世界のなかで、また長い歴史のなかで、この学問は、ロンドン、ベルリン、ウイーン、パリを結ぶ小さな四角形のなかだけで創造され確立されたのだ、というきわめて明らかな事実がはっきりしてくる。
オルテガ、『大衆の反逆』、第一部、9 原始性と技術


         - 日本経済新聞 2014/3/3の紙面より -

今週、月曜日の日本経済新聞に主要各国のイノベーション:科学技術力の比較がデータを基に比較されていた。

(Global data map グローバルデータマップ、技術革新の熱源広がる。 論文・研究費、アジアも台頭)

要旨は、主要国(日本、中国、米国、ドイツ、英国、韓国)の科学技術の開発の取り組みの具合を5つの指標を基に総合点を算出した。5つの指標とは、①研究費(民間)、②研究費(政府)、③特許出願数、④論文数、⑤引用回数の多い論文数。

5つの指標を基にした総合点(各指標での日本の値を100と規格化した場合)は、日本は当然500、中国 697、米国2014、ドイツ 513、英国 435、韓国 219であった。

このイノベーション実現能力という指標では、米国がぶっちぎりの1位、そしてGDPの世界順位と同じく中国は2位、そしてGDPの世界順位と違って3位はドイツであり、日本は4位であった。

科学技術を発展させる力に基づくイノベーション実現能力は、第1次近似的に国力、端的にいってGDPに比例するものであろう。なぜなら、科学技術を発展させるには資金と人材が必要である。研究開発費はGDPが高い国、すなわち「豊かな国」が費用をたくさん支出できる。そして、科学技術を発展させる人材もこれまた「豊かな国」に多いと推定できる。

したがって、GDPが大きい国がイノベーション大国になるように思われる。中国が世界第2位のイノベーション大国とこの報道で認められたことはそういう事情が原因だ。要はカネとヒトの量の問題だ。

一方、質の点から見てみよう。すなわち、科学技術を発展させるための資源(研究費+研究人材)は、その国力(財政=GDP、人材∝人口)に左右される。国力が大きいと科学技術が大きくなったようにみえる。ただしこれでは、GDPは世界で御三家ではないが、質の高い科学技術力をもつを国を見逃すことになる。

なので、本ブログ記事では、各国のGDPを考慮して、再考察してみょう。

どういう点を考察するかというと各国の科学の質の評価である。例えば、この日本経済新聞の5つの指標を基に総合点を算出した記事では5つの指標の中に特許出願数を入れいている。各国の科学の質の評価にはほとんど関係ないと、おいらは思う。なぜなら、その指標である特許出願数は出願しただけの特許であり、権利成立特許ではない。そもそも特許出願は勝手であり、意地悪な言い方をすれば、カネさえあればいくらでも出せる。事実、日本や、そして中国の特許出願数が多いのは企業の事業戦略と関連した特許戦略などがなく、現場の技術開発者が場当たり的にたくさん出すのであろう。昔ながらの数を指定するノルマ制も日本のメーカーではまだある。昔はすごいあった。それらの特許は質が低い。くそ特許問題。

そして、論文。論文は一応査読制度というものがあるから少しは質の担保ができる。日本経済新聞の5つの指標のひとつに入っている;論文数。しかしながらここ20年あまりの学術ジャーナルの爆発的増加と出版論文数の増加は質の低い論文の跋扈をもたらした。くそ論文激増問題。参考愚記事:なんと掲載論文の2割の被引用回数が5年間ゼロである。

それらの質が必ずしも担保されていない論文から、優れた論文を選別するひとつの方法がより多く引用される論文を数えることである。5つの指標のひとつに入っている;引用回数の多い論文数。

それらの指標においらは各国のGDPを入れてみた。表1。

表1、主要5か国のGDPと論文出版数

まず、GDPの世界での順位は; 米国→中国→日本→ドイツ→英国→韓国である。そして、政府支出の研究費(公的研究費)の多い国はほぼGDPの順位と同じであるが、韓国と英国が逆転する。すなわち、韓国そのGDPの割には政府支出の研究費が大きい。さらに、各国のGDPに対する公的研究費の比率を見ると、韓国→米国→ドイツ→中国→英国→日本である、つまり、日本での公的研究は日本の世界第3位のGDPにしては低い。

一方、論文数。表1の項目番号の5の「論文数」を見ていただきたい。これは上記のごとく質の低い「くそ論文」も含むのではあるが、世界順位は米国→中国→英国→ドイツ→日本→韓国である。日本は数の点でもビリから2番目である。そして、費用対効果=コストパフォーマンスを見る。表1の項目番号8:公的研究費/論文数。例えば日本は4211万円である。つまり、1本の論文が出るのに公的研究費を4211万円使っているという計算結果である。一方、最低の英国は論文1本出すのに1647万円。おもしろいことに米国が論文1本4887万円。一番コストパフォーマンスが悪い。これで日本は世界で2番目に論文1本出すコストがかかることになり、ビリは免れた。

そして、質。科学の質は上記データの中の指標では「引用回数の多い論文数」である。表1の項目番号4。世界順位:米国→英国→ドイツ→中国→日本→韓国。質の高い論文を出す国は、欧米に偏じている。中国は世界で2番目に論文を出版する国になったが、「引用回数の多い論文」を出版する点でいうと世界4位である。そして、驚くべきことは、「引用回数の多い論文数」において中国は日本に勝っている。

論文はたくさん出すが質は低いという中国への偏見をもっている日本人研究者も多いのではないだろうか。その点を確かめるため、出版された論文数に対する「引用回数の多い論文数」の比率を計算してみた。表1の項目番号9。日本は88、中国は83。かろうじて、日本の方が「くそ論文」の比率は低いのだ。なお、韓国は71である。

一方、東亜をよそめに、欧米はこの全論文に対する高質論文の比率が178から202であり、圧倒的に高品質である。

東亜(日本、中国、韓国)は71~88。 欧米(米国、ドイツ、英国)は178~202である。東亜科学の欧米科学に対する質の低さが歴然としている。

それにしても、すごいな独英。 オルテガせんせいの言うとおりだ。

この学問は、ロン ドン、ベルリン、ウイーン、パリを結ぶ小さな四角形のなかだけで創造され確立されたのだ

そして、高品質科学のためのコストパフォーマンス;

質の高い論文を出すためのコストに関して、例えば日本では1兆円公的資金出して質の高い論文は210報出版される(表1の項目番号6)。それに対し、英国では1兆円公的資金を出すと1225報の質の高い論文が出るのだ。ドイツでは1兆円で528報。すごいな独英。やはり、オルテガせんせいの言うとおりだ。

米国では378。もちろんより日本より高いがダブルスコアではない。一方、中国では1兆円の公的資金で234報の質の高い論文が出るのだ。日本より質の高い論文を出版するコストパフォーマンスがいいのだ。

 表1' 上記で言及、指摘した部分を強調;

関連愚記事: 
・ 【デマ!&捏造データ】拡散禁止; 論文激減、twitterつぶやき激増; ぬっぽん食税研究者事情
シロアリ研究者としての日本食税研究者。 
金権研究でバカ化する日本科学者 
 「研究」したって日本は富まない  


呉智英さんへの恩返し

2014年03月02日 13時40分49秒 | 中国出張/遊興/中国事情

相撲取りの世界の言葉(角界用語)で、恩返しという言葉がある。「大相撲における恩返しとはかつて世話になった者に勝つことである。  多くは入門時に世話になった、もしくは若い頃稽古をつけてくれた力士に対して用いる [wiki]」という意味らしい。

呉智英さんへ恩返しを試みてみよう。もしかして、誤爆の可能性はゼロではないのだが。

おいらが耽読した呉智英さんの本は、『封建主義、その情熱と論理』、『インテリ大戦争』、『大衆食堂の人々』の"初期三部作"(と勝手においらがよんでいる)3冊である。あと、呉智英さんも参加している『別冊宝島 47 保守反動思想家に学ぶ本』。読んだ時期は1980年代前半-中半頃。中曽根内閣・自民党300議席の時代。バブル時代前半。

その『インテリ大戦争』には、趣味としての摘発       誤記・誤字・誤植をあげつらう、という節がある。内容は刊行された文書での誤記・誤字・誤植を見つけ、書いた当事者に教えてあげるとどうなったか?というもの。あるいは、間違いのおもしろさや間違いの背景の推定である。その一例を昨日、紹介した(愚記事; 1975年に呉智英さんが和達清夫の間違いを見つけ、手紙を出した)。

その節で呉智英さんは書いている;

 読書の喜びというと、何かを知る、つまり、真理を獲得するということになるのだが、その他にもう一つの喜びがある。
 それは、獲得した真理を以て、他の人に、どうじゃ。こんなことは知るまい、ほれ、ほれ、と、いばる喜びなのである。

と、呉智英さんは露悪的に俗物ぶったものいいをしている。一方、おいらはホントに俗物なので、「ほれ、ほれ、と、いばる喜び」を発揮してみたいと思う。

で、今日恩返しする呉智英さんの文章は1989年のもの。現在は、『知の収穫』(1993)に載っている"再読『阿Q正伝』"である。初出は、「小説新潮」 89・8 読書随筆「再読三読」。1989年の夏に書かれた文章。一種、指桑罵槐的文章である。つまりは、この年北京で起きた大事件 [google] を受けて、その事件には一切触れず、しかしながら、北京の大事件への深い感慨を示そうとしたものなのだろう。短い文章である。下の画像で全文が読めるようにしてしまった。洋泉社さま、許してください(現在は双葉社から再刊行されている、と今日知った)。

さて、その文章は魯迅の『阿Q正伝』を呉智英さんはこれまで3度読んだ。それぞれ読んだ時の思い出と感想が書かれている。その中でこういっている;

 二度目に読もうと思ったのは、大学時代、支那文革真最中の時である。理由。批判を受けた老舎が自殺し、郭沫若 [かくまつじゃく]が率先して自己批判し、そんな中で、魯迅だけが批判を受けないどころか、毛沢東自ら未だに絶賛を変えない。不思議だった。


クリックで全文が読めるほどに拡大
著作権侵害です。ゆるしてけろ、洋泉社。

この文章はおかしい点がある。「批判を受けた老舎が自殺し、郭沫若 [かくまつじゃく]が率先して自己批判し、」のくだりだ。たとえ話でいえば、戦国時代を扱う大河ドラマにおいて、関ヶ原のたたかいが終ったシーンで、家康の家臣が、「大御所! これで徳川三百年の礎がかたまりましたぞ!」といういうようなものである。

何がおかしいって、「なんで、戦国時代のおまえが、幕末を知っとるんや!」という問題である。

どういうことか?まず、呉智英さんが二度目に『阿Q正伝』を読んだ時期を特定する必要がある。「支那文革真最中」とある。ちなみに、間違ってきた18クンのために翻訳すると;支那文革=しなぶんかく=中華人民共和国における文化大革命。真最中という表現だけからは時期限定が難しい。なぜなら文化大革命は1966年から1976年の四人組逮捕まで10年も続いたからである。

(なぜ、支那文革が10年も続いたのか?=なぜ文革で社会を破壊しつづけたのに10年も支那社会は崩壊し切らなかったのか?という興味深い問題はあるが、本要旨からずれるので、またいつか。)

別途、時代を限定する条件がある。「大学時代」とある。1946年生まれ [ 長谷川三千子さんと同い年] の呉智英さんの在学年代を特定すればいいのだ。1971年早大卒とある。

↓ こういう時代だ;

       
                      標準状態

すなわち、呉智英さんが二度目に『阿Q正伝』を読んだのは1965-1971年の間のある時点である。

そうであるなら、下記条件がある;

 文革中、批判の対象になったのは、文芸界の幹部だけで二百七十人にのぼっている。文化・宣伝部門の陸定一、周楊、文芸部門の田漢、夏衍、新聞部門の呉冷西、学術部門の孫冶方、楊献珍らはその代表的人物であった。郭沫若のように、「自分の本を焼き捨てる」と宣言して毛沢東に忠誠を誓った特殊な人物もいるが、中国の大半の知識人は沈黙を守り、屈辱に耐えた。日本で高い評価を受けていた新中国の文芸工作者たち、とりわけ老舎、巴金、趙樹里、田漢、曹禺らがどうしているのか、生死さえわかっていない。 (柴田穗、『周恩来の時代』、1971年刊行)

とりわけ老舎、巴金、趙樹里、田漢、曹禺らがどうしているのか、生死さえわかっていない。

つまり、1971年には、老舎の生死はわかっていなかったのだ。もちろん、今からみれば、老舎は1966年8月24日に北京の大平湖西岸で自殺した。でも、1971年の時点で日本人はそれを知ることができなかったのである。呉智英さんも知ることができなかったであろうに違いない。したがって、呉智英さんが人生で第2回目に魯迅の『阿Q正伝』の理由が成立しないことになる。すなわち、「批判を受けた老舎が自殺し、」という事実に衝撃を受けて、2回目に魯迅の『阿Q正伝』を読もうとしたという動機の説明は成立しないこととなる。

原因は、ただの記憶違いであろう。そしてこの記憶違いは文章の要旨を左右するものではない。この文章「再読『阿Q正伝』」は1989年に書かれた。その時に呉智英さんがもっていた文革に関する知識には老舎が迫害され自殺に追い込まれたことが折り込み済みだ。その1989年に呉智英さんの脳内で構成されていた文革像を(1965-)1971年にも、無意識のうちに、延長したのだ。それを妨げなかった理由は老舎が自殺したのが1966年であるという史実だ。史実とそれがいつ知られたか?、さらには己がいつ知ったか?ということは、別物であることがある。記憶に基づいて文章を書くときに気を付けないといけないことである。 すべからく己の記憶の出自を照査すべし、に他ならない。

と、老舎をわずか半年前に知ったおいらが、つまりは今しがた知ったおいらが、(愚記事: 蒙童、老舎老師を知る、あるいは、文革血祭り第一号、そして、毛唐兵と紅衛兵の間で)、 「ほれ、ほれ、と、いばる喜び」にひたってみた。

半年前に老舎を知って、これまでがきんちょの頃から読んだ本を再読すると、「老舎」という言葉がぼろぼろ出てくる。それらの本は確かによんだのだ。さらには何度も読んだものもある。これはどういうことかというと、おいらは、いままで、老舎をスキップしてきたのだ。読書というのはこちら側が持っている言葉、知識に応じて立ち現われるのだ。バカがいくら本を読んでも、バカ相応にしか読み取ることができないのだ。

なお、郭沫若の自己批判はすぐに日本にも伝えられた。これに対し日本人知識人も反応している。例えば、福田恒存の「郭沫若の心中を想ふ」(朝日新聞、昭和四一年五月二日) 「それにしても郭氏の言葉はまことに激烈凄惨なもので、拷問の鬼と思はれていたかつての日本の特高も、共産主義転向者からこれほど感激的な誓約書を手に入れる個とは出来なかったであろう」(かなづかは勝手に変更)と書いている。だから、確かに郭沫若 [かくまつじゃく]が率先して自己批判しというのは日本では公知情報であったのだ。

そして、郭沫若が文化大革命の開始前に「自己抹殺」を行い、「毛沢東に忠誠を誓った」のはこういう状況でのことである;

 最近数年間、会えばきっと話になるけれどけっして解決を見ない話題がある。それは東京では冗談か世迷事と聞かれそうだが、ここでは痛切な主題である。白か黒か。右か左か。有か無か。あれかこれか。どちらか一つを選べ。選ばなければ殺す。しかも沈黙していることはならぬといわれて、どちらも選びたくなかった場合、どういって切りぬけたらよいかという問題である。 (開高健、『玉、砕ける』)

開高健が描いた、文化大革命の時の中国の推定状況である。

郭沫若の選択と老舎の選択だ。その選択の結果を知ることができるのは、後世の、なんら当人の才能や努力に基づかない、特権である。

いつ日本で老舎の死が知られたかを調べてみた。わからない。ただし、上記、開高健、『玉、砕ける』に何か書いてあるとネットでわかり、読んでみた。この開高の文章は開高健の友人で日本語が流暢な香港在住の中国人との香港での交流、会話に基づく小説である。自らも中国に行き(1960年。毛沢東に会っている)、1964年に老舎が日本に来た時あったことのある開高健が、老舎の死を聞いたのがいつであるのかはこの小説からは特定できなかった。ただし、その時点で公知ではなかったことは確かである。なぜなら、開高健が香港での友人、張氏から老舎の死を聞いた時、開高健がそれを知らなかったからである。したがって、開高健は日本人で最初に非公知情報として老舎の死を知ったひとりなのだろう。開高健、『玉、砕ける』に書いてある;

 空港へ行って何もかも手続きを終り、あとは別れの握手をするばかりというときになって、突然張がそれまでの沈黙をやぶって喋りはじめた。昨夜、新聞社の友人に知らされた。北京で老舎が死んだという。紅衛兵の子供たちによってたかって殴り殺されたのだという説がある。いや、それを嫌って自宅の二階の窓からとびおりたのだという説もある。もうひとつの節では川に投身自殺したのだともいう。情況はまったくわからないが、少なくとも老舎は不自然な死を遂げたということだけは事実らしい。

繰り返すと、この香港の空港で老舎の死を知った年月日は分からない。そして、この開高健、『玉、砕ける』は、書誌には、昭和53年3月1日に「文藝春秋」に初出とある。1978年だ。

老舎の公式の葬儀・追悼式は、1978年6月3日、中国共産党と政府により、北京市八宝山革命公共墓地で執りが行われた。弔辞は茅盾。1978年春には公知にされた老舎の死を開高健が公知になるまで黙っていたとは思えない。『玉、砕ける』は1978年に出ているので、開高健が老舎の死を知ったのも1978年、あるいは前年くらいなのではないだろうか?

ということで、1971年には日本で老舎の死を知ることは困難だったのだ。

▼ 誤爆の可能性

ただし、論理的には呉智英さんが老舎の死を知っていた可能性はある。紅衛兵たちから直接聞いたのだ。 ウィキペディア[呉智英]にはこうある;

本人の弁によると、学生運動では「軍人の位で言うと大佐ぐらいだった」とのこと。当時の呉の様子は早大の同学年だった宮崎学が『突破者』(南風社、1996年、のち幻冬舎文庫)で描いており、長髪の美男子とされている。

我らが呉智英さんは、「大佐」ではあったが、=「将軍」さまではなかったが、情報部門の「大佐」さまだったのだ。そうに違いない。そして、「在日支那人宋慶英さん(仮名です)。宋さんは美女」を使嗾して、支那内部情報を取っていたのだ。だから、老舎の紅衛兵による追い込み自殺なぞ、とうに知っていたのだ。

而して、理由。批判を受けた老舎が自殺し、と知っていたのだ。

つまりは、『知の収穫』(1993)に載っている"再読『阿Q正伝』"とは、俺は1966年に対支那情報将校@「大佐」であったのだ!という自供の文章なのだ。

おそるべし、呉智英 「大佐」@支那通!

■ 今、気づいた 不適切;

この「呉智英さんが1971年に老舎の死を知っているはずがない」ということに対して、" 「家康の家臣が、「大御所! これで徳川三百年の礎がかたまりましたぞ!」=家康の家臣が、徳川幕府の終焉年を知っているはずがない"ということを喩えにもちだすのは、不適切、or 間違いだ。

なぜなら、それぞれの"その時"、老舎の死は過去の事実であり、徳川幕府の終焉は未来であるからだ。

と、自分で自分に恩返しをしてみた。

ありがとう!、おいら。


今日も円本;

本記事で話題にした『知の収穫』は1円。

なお、この本には"淪落の彼女"という文章がある。1990年に早稲田の古本屋で大月書店から出版されていたマル・エン全集(マルクス・エンゲルス全集)のバラ本が1冊300円ほどで売られていた。これを昔見た美女が一発300円で客の袖を引く街娼になぞらえている。

呉智英本、1円である。

一方、こちらは1500円だ;


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ぶどうの木再生日記;第50週目

2014年03月01日 06時03分25秒 | 草花野菜

■ 今週の筑波山麓


 土に還される柑橘たち

■ 今週の看猫


 結露が好きなうめちゃん

■ 今週の幻視; カサミラ

■ 今週の corresponding author、 1975年の”corresponding author”

corresponding authorというのは研究論文が出たら、その論文に応答(correspond)する論文執筆者=研究者のこと。

corresponding author のはずの小保方晴子さんは、全然応答しないね。 むしろ、疑惑を助長させている。

王子様のキスをお待ちなのだろうか ?

 - 1975年の”corresponding author” - 

2年前に下記内容を書いた(愚記事: 初揺れ;平成24年01月01日14時37分

この呉智英さんの和達清夫に関する話が載っている本が確認できた。『インテリ大戦争』(1982年)だ。その本のなかに、”趣味としての摘発” - 誤記・誤字・誤植をあげつらう、という節がある。そこで紹介されている話が、1975年に呉智英さんが和達清夫の間違いを見つけ、手紙を出した。そうするとすぐに返事がきたというのだ;

「御説の通りである。しかし、文意は、北極海が温まると、その変化で世界中の寒冷地も解け、やがて予測もできぬ大被害が出るということなので、よろしく御了承願いたい(大意)」
嗚呼、この返事をもらった時の私の喜び。  呉智英、『インテリ大戦争』(1982年) 

この時、和達は日本学士院長、この後1985年には文化勲章。

このほか呉智英さんは誤記・誤字・誤植をあげつらう手紙を出しても無視され返事も来ない例も紹介している。和達清夫はちゃんと素人さんにも丁寧に対応 (correspond) していたのだ。人の品格というのはこういうところに出るのだ。

      wiki [和達清夫]
   雲隠れ         隠し切れない品格

■ 今週のバカ親、あるいは、老子反動兒混蚤 [バカの子供はバカ]

こういうバカ親は「本質的に無教養」である。そして、「本質的に無教養」な人間に育てられ、あまつさえ受験に付き添ってもらっている人間も「本質的に無教養」に違いない。じゃあ、その大学で「本質的に無教養」を治してもらえるかというと、そうはいかない。なぜなら、その大学は ま ぬ け な大学だからだ。バカ親は「本質的に無教養」なので、自らの子供がこんな大学に入ろうとしても恬として恥ないのだ。情報収集してるの?

ただ、その愚息・愚娘が自分は「本質的に無教養」なんじゃないだろうか?と自ら気づいたとしたら、何かあるかもしれない。 幸運を祈る。

▼ 今週の日帝「侵略」赤ちゃん

 今週のニュースで村山元首相ががんばっていると報道されていた [googleニュース]。そんな村山富市さんの老体に鞭うつがんばりに感動したおいらは、村山談話の精神に則った言葉遣いで他人を評してみよう。 江田五月さんは、日帝「侵略」赤ちゃんだったのだ。知らなかったょ。今週の新聞に書いてあった。そして、そのとうちゃんは「侵略」者そのものということである。「植民地支配」の尻馬に乗って、稼ぎを得ていたのだ。そして、パーロ(関連愚記事:パーロって何だ?って、おいらも最近覚えた言葉)にやられたのだ。

 関連記事

菅首相のきわめて少ない理解者が江田五月で、丸山の弟子らしい。元科技庁長官だ。つまりは、原子力政策を黙認してきた政治家だ。ご愁傷さま。

今週日経新聞に書いてあった;


日経:日中交流事業、再開間近か 習氏のメンツ(風見鶏)

別途、ネット上で情報を見つけた;

江田… 2年8ヶ月ほど獄中にいました。先日、『おくりびと』を見に行きましたが、出獄してから神戸で葬儀屋をやっていました。西田天香の一灯園の関係者が配慮し てくださったのだと思います。「お坊さんは亡くなった人に引導を渡すが、生きた人間に引導を渡すのは葬儀屋なんだ」といって、大変使命感をもってやったそ うです。今もその会社はあります。

 ただ父は、お客から金を取らなかったりして大赤字を作り、辞めることになって、中国に行きました。

鷲山… 中国のどちらだったのでしょう。

江田… 華北の石家荘というところです。水路の建設の仕事をしました。あるとき八路軍に疑われて、背中に鞭打ちのみみず腫れを作って持ち物を全部取られて戻ってき たことがありました。しかし後で、八路軍から「悪い人ではないことがわかった。申し訳なかった」といって取られた物が全部戻って来ました。こういう軍隊は 例がありません。

 石家荘からなので、戦後は無事に日本に帰れましたが、満州だったらどうなっていたかわかりません。

 戦後、父が中国を訪ねたのは、亡くなる直前に一度だけです。日中関係は気になったでしょうが。 (江田五月参議院議長との対話 (鷲山恭彦・東京学芸大学学長

                     

1・アメリカ並みの生活水準、      お呼びでない@パーロの人々@@前線で頑張(ぐゎんば)った
2・ソ連並みの生活保障、
3・イギリス並みの議会制民主主義、
4・日本に於ける日本国憲法の平和主義
(言外に、5. 支那からパクるもの無し!)

■ 今週の円本; 『青春の北京』 、ついに、5円から1円に


愚記事: ご縁がありますように 
 

▼ 今週・今日の驚愕ニュース; 「司令部を砲撃せよ!」 ????


google: [iPS細胞研究所 厳重注意]


愚記事; iPS山中さんは、STAP細胞にカチコミをかけられたのだ。

    
    雲隠れ          謝罪

   一体、何がおきているんだ??? ぬっぽん!!!

明日は我が身...

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