いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

昭和の成仏のために; 桐生建物、あるいは、誤爆:ケロリン風呂桶@成仏の必要なし

2014年03月30日 18時16分18秒 | 日本事情

「昭和の成仏のために」シリーズが無沙汰であった。最後は、2013年9月4日の記事: 昭和の成仏のために; 幻の五輪、東條演説、占領、実現したオリンピック、そして、建築、だ。

今週末、桐生の街を少し歩いた。当初ただの交通機関の乗り換えだけであったはずが計画がつまずき一時間半くらい時間できた。駅周辺を散歩した。

桐生の関する予備知識全然なし。したがって、偏見(=真実)もなし。なので、「事実は真実の敵なり」ということが起こりえない。そして、見たよ、桐生の"中心街"。そして、「事実」。

昭和の墓場だった。その中で "総合ディスカウントストアドン・キホーテだけが誇らしく聳え立ち、中では昭和生まれの方々が集っていた。都内のドン・キホーテと雰囲気が違うのではないだろうか?もっともおいらはドン・キホーテに行かないので、想像です。

それで、散歩で見た昭和;


 赤松外科医院      楽町1  昭和初期    モルタル[1]

この丸窓なぞ、なんか....。 しかも非木造。そして、この建物は古そう。⇋ ⇋ ⇋ なんちって:俗流:アールデコ

 


⇋ ⇋ ⇋ なんちって:俗流:バウハウス的モダン

こういうweb siteを今見つけた;

3.桐生に残る西洋館  (上記[1]はこのweb siteの別ページからの情報)

近代日本においてある特殊理由で一時的に非常に栄えた街はその当時の先端風物を実現し、その後再生産されることなくそのまま残る典型例だと思われる。

▼ 昭和の成仏のために; 誤爆編= 勝手に殺すな!

その夜、泊まった宿の風呂には「ケロリン」風呂桶。 

あ~、これこそ、昭和の成仏されるべき遺物ではないか!それにしても昭和が終って四半世紀になるのにまだ使われているのか!?と感嘆8部。それにしても、ま新しいなぁ?と、疑問2部が湧いた。

調べた。 やはり、調べることが重要だ。

 
  Amazon ケロリン湯桶

何のことはない、今でも現役なのだ。

成仏の必要はないのだ。

ごめんよ、ケロリン。

■ 新聞をタダ見した日には;

今夜は、今朝、タダ(無料)見した日本経済新聞の張競さんの「詩文往還」について。先週(3/22)も張競さんの「詩文往還」を読んで分からない点が思いついた(愚記事:老舎は日本に何度来たのだろうか?  )。今週、今朝の張競さんの「詩文往還」を読んで分からない点が思いついた。下記点;

水上勉が泊まったホテルのウエイトレスが読書が好きで、水上勉の支那語訳も読んでいた。それを聞いた水上勉が我こそが水上勉なるぞと名乗った。でも信用してもらえなかったというエピソード。そして、上記水上勉=スイシャンメンと自己紹介という話に張競さんの「詩文往還」は発展していく。

別に事実誤認をい見つけたわけでもない。おもしろいと思ったのは、水上勉の支那語力である。

普通、われわれ名誉ある「倭人」は、なぜかしら?名前が支那文字である。

(名前は漢字だが、読み方が不可思議である。例えば、大和。それを勝手にやまと言葉でよんでいる。ちなみに、戸籍に漢字で登録した名前の発音は自由である(とおいらは認識している)。例えば「山田右」さんという戸籍名を やまだ ひだり とよんでもいいはずだ。

だって、そうでなくちゃ、大和=やまと; 千明=ちぎら、英虞=あご、など変な読み方をやめないといけない)

倭人の名前が漢字であることに戻る。日本人のほとんどが自分の漢字で構成されている名前の彼の地=支那文字の発生地=現在は中華人民共和国でどう発音されているか?知らないだろう。

一方、日本人の中でも自分の漢字で構成されている名前の支那語での音を知っている人たちがいる。なんのことはない、支那語を話す人たち~支那語を勉強した人たち~支那語をかじった人たちである。

今時の贅沢な支那語教室では華人の先生が、最初に、一人ひとり個別に、名誉ある「倭人」である自分の支那文字の「正式」な発音を教えてくれる。

ここで「今時の贅沢な支那語教室」とあえて言ったのは、「30日間 ト ン ズ ラ ー 式中国語の学習  (仮名)」などと本質的に ビ ン ボ ー く さ く、かつ効果的でない学習方法をとらない場合ということだ。 そういう、本質的に ビ ン ボ ー く さい支那語教室では、受講者が支那語を習得できなくても、講師が遁ズラするのだ。そして、ここで「今時の贅沢な支那語教室」とあえて言ったのは、中国語の講師は今の倭国にはたくさんいるからだ。贅沢というのは格安の受講料で中国が手軽に習えるということだ。

その今時の贅沢な支那語教室(別に謝礼が高いという意味ではない)では、華人先生が口の動かし方、場合によっては舌の動かし方を以て伝授して下さったホーリーネームを実際に使って、「私は~です」という支那語の極最初の練習となるからだ。

これをおいらは、支那「ホーリーネーム」の授与と読んでいる。自分の支那ホーリーネームを知っているのは、日本人で「支那語を話す人たち ~ 支那語を勉強した人たち ~ 支那語をかじった人たちである」。

という観点からみて、水上勉はこのホテルでのウエートレスに水上勉=スイシャンメンにいわれるまで、自分のホーリーネームを知らなかったのだろうか?もしそうなら、水上勉は支那語力がそもそもなかったと推定できるかもしれない。もし、そうでなく、元々自分のホーリーネームを知っていれば今更「本人はたいそう気に入っていた」という事態にはならないだろう。

よくわからない。

(さらには、

shuǐ shàng miǎn

を、きちんと水上勉がきちんと発音できていたのか? 決して、スイシャンメン、ではないのだが)

・追記; これは相互的なもので、毛沢東の和ホーリーネームはもうたうとうであり、習近平のそれはしゅうきんぺいである。

ただし、支那文字は向こう様のものだ。

・追記2; 「支那語を話す人たち ~ 支那語を勉強した人たち ~ 支那語をかじった人たち」でもなんでもない日本人@名前が支那文字の人は、今では簡単に、自分の名前の中華人民共和国でどう発音されているか?を知ることができる。自分の名前の支那文字のping yingを調べるのだ。 ⇒ サイト