いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

人殺し系女子の時代

2013年01月06日 05時28分37秒 | 日本事情

 


画像はネット上kらのパクリもの
我らがぬっぽんの巷で持て囃(はや)される人殺し系女子


たしかに善玉は悪玉に勝つが、人々の心にずしりと残るのは、憎らしい悪玉のほうである。
草森紳一、 『中国文化大革命の大宣伝』 -★誇張の逆転打―革命京劇『智取威虎山』-

愚記事;"上海参り2012"、より

たしかに善玉は悪玉に勝つが、人々の心にずしりと残るのは、憎らしい悪玉のほうである」とは中国の京劇について草森紳一という人が言った言葉。日本での史実と後世での芝居化の状況に則して言えば、「たしかに官軍は賊軍に勝つが、人々の心にずしりと残るのは、けなげな負け組 (関連愚記事) のほうである」とでもなるのであろうか?正月休みはこの『中国文化大革命の大宣伝』 を読んでいた。それで、散歩がてら本屋に行くと今年の大河ドラマの広告がちらほら目に入った。綾瀬はるかがきれいに着飾って、銃を持っているのだ(図1)。なんだ、人殺し系女子か。

 図1     図2

今となっては昔の話になってしまったが、この日本で「なぜ、人を殺してはいけないんですか?」と、ある"こども"が言ったとのことで物議をかもした。一方、現代日本では、通俗にせよ、あるいは立場ある公職の人でも、武士道を道徳的根拠として口にする。ただし、しばしば、残念なことに、いささか薄らバカが多い;

藤原正彦センセは、「弱いものいじめをする根性」や「勝ち馬に乗ろうとする根性」を卑しいものとして唾棄する。まったくもってそのとおり。上記は戊辰戦争で会津に攻め込んだ諸藩である。全国の諸藩がよってたかって会津を撲滅したのである

 日本ではどんなに罪があったと仮に認められた人でも、亡くなった人に石を投げる考えはない」と述べ、中国とは死者に対する考え方に大きな違いがあるという認識を示した)。

それにしても、武士って、そもそも人殺し屋さんでもある (武士ト称シ抗顔坐食シ 、甚シキニ至テハ人ヲ殺シ官其罪ヲ問ハサル者ノ如キニ非ス)。

テレビドラマとそれを楽しむ人々に目くじらを立てるのも野暮な話だが、こういう時代錯誤の激しい「武士」を現代に持ちだし楽しんでいる多くの人がいるのだ。「なぜ、人を殺してはいけないんですか?」というがきんちょの不意打ちには顔をしかめたふりをしているが、実は「場合によっては、人殺しも必要だろう」と考えているのだ。内心考えてはいるが、口に出すと、ぶりっこの「良い子ちゃん」にからまれるので、普段は心の奥にしまっているのだ。そして、ホントは原発再稼働を願っているのだ。 (話が一見すごく飛んだように思われるが、同じことだ。数ヶ月前官邸前に集まった烏合の衆の数万人の諸君も、まずは、"普通の庶民"が見るテレビさみるだょ。"声なき声"が聞こえるかもょ。)

そうして、そういう"普通の庶民"が人殺し劇が好きなのだ (愚記事: 今夜、龍馬が人殺す、あるいは、人殺し、人に殺されるII  )。そして、今夜からも人殺し屋さんの生涯の物語が始まるらしい。今度は、人殺し系女子だ。脇差をした上に主人公が手にしているのは、スペンサー銃なんだろう。人殺しの道具だ。スペンサー銃の開発は1860年なので、8年後の会津戦争でもう使っていたことになる。

ドラマでは薩兵や土佐兵をバンバン撃ち殺してほしい! おいらの願望だ! 見れないけど。

■ 人殺し系女子、中国篇;

家に帰って、『中国文化大革命の大宣伝』 の続きを読む。文化大革命時代の京劇について書かれている。最上部の引用「たしかに善玉は悪玉に勝つが、人々の心にずしりと残るのは、憎らしい悪玉のほうである。」は京劇についての言及だ。そして、京劇には若いきれいなお姉ぇさんが華凛と銃を持つ場面はないらしい。図2は、江青の製作・演出である『紅色娘子軍(こうしょくじゅしぐん)』 (google) の一場面。これは京劇ではなく、バレエにオペラを加味したものであると草森は解説している。つまりは、若いきれいなお姉ぇさんが華凛と銃を持つ場面を創造して、中国劇の大革命を果たしたのだ。そして、この作品を1972年2月に訪中したニクソン(米国大統領)は見せられたらしい。これを伝統的な京劇と誤認したとのこと。『ニクソン回顧録』でその誤認が書かれている。

テレビドラマとなった『紅色娘子軍』⇒ YouTube 【经典电影 HQ】 红色娘子军 / 高清晰视频 / 片长89分钟

● 潜伏する青豆

『1Q84』の続編がでるのだろうか?注目なのは、人殺しの青豆さんである。この青豆さんの殺人も上記会津藩士や中国革命戦士同様その人殺しには「正義」が貼り合わさっている。これまた、"普通の庶民"は人殺し劇が好きなのだ。 ロンドンっ子だって好きだった

▼ あーあと、会津系では、中野竹子さんというのもいた。


追記; 気付いた!

ただ、 on your mark ! と言っていただけかもしれない。 北京オリンピック 2008 に備えていたのだ!?
恐るべし、マオさんとジァンさんの戦略性!


the ballad of Mao & Jian

The newspapers said
"She's gone to his head
"They look just like two gurus in drag"

マス ミが言ってたさ、”江青は赤色皇帝のキンタマ握った”、って


毎週、ぶどうの木の画像を撮っています; 87週目

2013年01月05日 11時31分55秒 | 草花野菜

 

▼ 凍上現象


凍上(とうじょう、英: frost heave)とは、
寒気によって土壌が凍結して氷の層が発生し、
それが分厚くなる為に土壌が隆起する現象である。wiki

 

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暖をとる猫

2013年01月02日 17時21分21秒 | ねこ

まわりから見通しのよいところに猫が2匹佇んでいた。

陽だまりなわけでもない。

ねこの居場所としてはやや不自然。

近づいて見ると、毛が風をあびてクレーターをつくっていた。

上を見てわかった。

調理場らしきところからの排気口が壁にあった。

しかも下向き。温風が出ていた。


▼ 場所; 瑞金ニ路118号、上海。

以下、島根 慶一殿web site, 「 瑞金賓館・モリス邸(中国名:馬立斯花園) 」よりコピペ;

瑞金ニ路118号の瑞金賓館は、旧モーリス一族の大邸宅で、4件の邸宅と多くの離れ屋、広大な庭園からなってい る。いまは、屋敷の周囲に富裕な外国人用の不恰好な建物などが建て込み、大幅に縮小されているが、人口稠密なフランス租界の真中で、今も広大な正4角形の 土地を占めている。

大邸宅の旧持ち主・Henry ("Harry") E. Morriss JR.は、H. E. Morriss Sr. の息子として生まれた。父はユダヤ系英国人カトリック教徒で、1920年代~1940年代の中国で、いやアジアで最も影響力を持つ英字紙、North-China Daily News の創設者であった。

父Morriss は1919年に亡くなり、息子Harry は外灘17号の2階にあった彼の事務所から、最高司令官として父の新聞社を牛耳った。彼は社会的地位に相応しく、 旧フランス租界のPere Robert 路、今の瑞金2路に面した正方形の土地を一ブロック住宅用に手に入れた。


謹賀新年2013年

2013年01月01日 00時22分01秒 | その他

 

今年は、日西交流400周年だそうです。何よりその理由は、伊達政宗の慶長遣欧使節団派遣400周年であるからだ。

関連愚記事;

 ・ 伊達政宗・ヨーロッパに賭けた夢 
 ・ サンファンバウティスタ号 -仙台参り2006⑤-   
 ・ 大泉光一、『伊達政宗の密使』、あるいは王と坊主の同床異夢の野望の果てに


 Google

いささか、また、みずから、ひそかに [聊復自私] 政宗マニアであることとスペインマニアであることをしているおいらは、ここ筑波山麓-霞ヶ浦湖畔の旧仙台伊達家常陸領( [出典] )において、草莽微賎として、ブログにて"イベント"を敢行したい。

▼ 外務省、スペイン大使館の広告 (web site



この外務省文書の「大御所の許可を得て」という解説。これは伊達政宗の慶長遣欧使節団がただの田舎大名のきまぐれじゃないという意味を込めているのだ。 さて、どっちが大御所? ↓ 

 
     松平さん                   源さん 

日本人の顔に対する分解能がないスペイン人がみたら、どうせ兄弟なんでしょう!とおもうべな(?)
(それにしても現在のサブカル世界における政宗のキャラはかっこよすぎだろう。本当は、家康似のたぬきおやじなのに...)

■ エル・グレコ

その「日本スペイン交流400周年」の交流事業の一環なのかわからないが、今月から東京都立美術館(とびかん)でエル・グレコ展が開催される。⇒ web site

 
  ▲ エル・グレコ Google 画像

 ■ エル・グレコの前に《インド人》の話;

 もうかれこれ10年近く前の話。仕事場にインド人のクマールさんが来た。ブラック・ベンチャーでの話だ(解説愚記事; ブラックOK! )。日本人に一般的な悪い癖なのか、おいらの職場の人たちの民度が低かったのか、みんなクマールさんをインド人と呼んだ。クマールさんと名前を呼ばないのだ。「今度来たインド人さぁ ・・・・」とか「おたくに来たインド人さぁ ・・・」とかいう言い方。クマールさんと一番直接仕事をしていたのはおいらで、須藤さんは責任者。おいらの事実上の上司だった。当時、須藤さんは日本の大手メーカーをリタイヤして、そのブラック・ベンチャーで働いていた。その大手メーカーは高度成長時代の花形産業。1960年代は日本が今の中国みたいな時代だ。すなわち、現在アフリカ、中近東に中国の企業が自国の安い労働力を引き連れて、現場系の仕事をしている。須藤さんも昔はアフリカ、中近東で日本企業の《尖兵》として働いていたのだ。だから、英語はできるし、外国人との付き合いもなれている。何より、性格が高潔で、かつ、温厚だった。その須藤さんが少し怒った。須藤さんが怒ったのは後にも先にもこの時ぐらいじゃなかったのではないだろうか。怒った理由はみんながみんな、クマールさんを「インド人、インド人」というからだ。須藤さんは、「ちゃんと、名前をよんでください」と注意したのだ。

 前置きが長くなった。エル・グレコは、スペイン語で"ひとりの男性ギリシア人"という意味。悪意で意訳すれば、ギリシア野郎!か?本名は、ドメニコス・テオトコプーロスΔομήνικος Θεοτοκόπουλοςwiki)。スペインで活躍したが、ギリシア(クレタ島)の出身なのだ。スペインでは、エル・グレコと呼ばれていた。今もよばれている。あのひとめみたらグレコでしかないとわかる作品群がすごい。

 スペインで活躍したギリシア出身の画家の作品が日本に来る。GPS(ギリシア、ポルトガル、スペイン)の内リャンファンを確保しているではないか! つまりは現在国家財政が破綻、あるいは破綻の崖っぷちの国から、これまた恐慌前夜ともうかがえる日本に来るのだ。

そういえば、今のスペイン王妃はギリシアの出だった(wiki)。 La Greco !
(関連愚記事;  おらほの街にKing&Emperor

● 支倉常長はエル・グレコとすれ違ったのか?

今回の「日本スペイン交流400周年」開催の根拠となった歴史的出来事は支倉常長がスペインに行ったことだ。支倉常長はセルバンテスとすれ違っていたかもしれないことは書いた(愚記事:セルバンテスとわれらが支倉常長は「すれ違っている」のかな?と思いつき調べる)。そして、エル・グレコは? グレコは1614年にトレドで死んだ。支倉常長がトレドに来たのは1614年だ。しかしながら、グレコが死んだのは4月、常長がトレドに来たのは12月なのだ。トレドで同じ空を仰ぎ見ることさえしていないことがわかった。