9月はロンドンに行った。
デジカメ画像集から、「漱石(1900-1902)がロンドンで見なかったものども」を3点示す。
もっとも、伊藤博文が"ロンドンで見なかったものども"という表題でも成り立つのだが...。
▼ 「漱石(1900-1902)がロンドンで見なかったものども」
1.インド人
―バッキンガム宮殿前で記念撮影するインド人―
漱石はロンドンでヴィクトリア女王の崩御に立ち会っている(1901年)[1]。
20世紀が始まったその年のしかも最初の月にヴィクトリア女王は崩御した。
そのヴィクトリア女王は、インド帝国の王でもあったことはいうまでもない。
じゃあ、インドを支配していた大英帝国の帝都ロンドンにインド人がたくさんいたかどうかはわからない。
英国政府が一九一九年に制定した「外国人法」は、英国における外国人の雇用を厳しく制限するものであったため、第二次世界大戦直前の英国には、たかだか数千人のインド人が永住していただけだった。 (岡本幸治、『インド世界を読む』)
2. 「屋台」の握りずし
ロンドンの中心街には日本食のファーストフード店があった。 Wasabi.
毎日食べるご飯が稲穂の実であると知らなかった元来江戸っ子であった漱石が、ロンドンでは絶対食べなかったであろうものは、握りずしである。
漱石来倫の19世紀末あるいは20世紀最初頭、倫敦(ロンドン)のちまたで握りずしなぞあろうはずもない。
21世紀初頭、あったょ、握りずし。たぶん、器械が 握った 成型したに違いない握りずし。
もつろん、元来、 高踏派 のおいらは、デジカメ画像だけ撮って、食べない。
(そういえば、20世紀末、エリザベス女王を元首と仰ぐカナダ国のエドモントンのホワイトアベニュー沿いのあるショッピングモールに「わさび」という寿司を中心とする日本食・"ファーストフード"店があった。 今でも、あるのだろうか?)
3. 日本の小説の英訳本を読むロンドンっ子
ロンドンの地下鉄、tubeに乗ったら、村上春樹の1Q84を読んでいる人が向かいに座っていた。
● 漱石なかりせば、春樹は無いのか?という問いに、
江藤淳なら、「絶対そうだ!」と答えるに違いない。
でも、江藤は生前一度も村上春樹に言及してないように、おいらは思う。
やはり、ノーベル賞(西脇順三郎[候補]、大江健三郎)は苦手なのだ、江藤は。
[1]
日記、漱石全集第一六巻
Mr. Bean と共に出なかったことが、せめてもの幸いではあった。
でも、今度のQueenの葬儀、Rowan Atkinsonはどうやって姿を現すのだろうか?
楽しみだ。