―外は暑いのに、そして0.45μS/hなのに、出たがるうめちゃん。草のかまくらで処暑。セシウムをたっぷり被っているはずの草のかまくら。CTスキャンかよ!って感じです(泣笑)。―
■処暑ならぬ、<処刑>という物騒な話。
小森陽一センセが、数年前、『村上春樹論』という新書を書いた。その帯には、『海辺のカフカ』は<処刑小説>である!、との文句。
<処刑小説>ってどんな小説かわからいないし、『海辺のカフカ』以外に、文学史上どんな<処刑小説>があるんだべ?と当時(2006年)おいらは思った。
最近、気付いたょ。<処刑文学>はたくさんあるって。
そして、ぬっぽんが次々処刑される近現代日本文学の系譜があるって、気付いたさ;
① 『日本沈没』。日本を丸ごと処刑だっちゃ。この『日本沈没』が<処刑小説>―<処刑文学>って気付かなかった。なぜ、気付いたかというと、御当人がおっしゃっているのであった。
日本は欧米諸国から見れば、極東の端っこにある小さな国。それなのに、世界を向こうに回して戦争をしてしまった。自分は何でこんな国に生まれてしまったのだろうと、恨んだりもしました。 (小松左京 その3【全4回】 僕のSFの出発点は戦争反対と核兵器廃)
恨んだ末に、処分したのだ。 作り話の中で、日本を「亡ぼ」した。
② なんだ、つぎつぎいるじゃん。愚ブログで言及済みのこの文句。
私はもっと崩れろ、もっと崩れろ、と念じられずにはいられない。なぜなら私はこの瞬間を待っていたからであり、それとともにすべての偽善と虚飾が洗い流されるのを待っているからである。 (愚記事;今日の看猫 2011/3/1、あるいは、「もっと崩れろ!」の江藤淳をみつけたょ )
これまた、脳内で日本崩壊を願望だ。
③ そして、真打ち登場。
「亡びるね」。
もちろん、漱石だ。
「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。
すると、かの男は、すましたもので、「亡びるね」と言った
(愚記事; 「滅びるね」 @浜松駅 ←誤字は未訂正 )
ぬっぽんは、作り話屋さんの脳内で、ぼこぼこに処刑されているのだ。
でも、漱石の予言は当たったけど。
■でも、今、ほんとにぶっこわれてきて、なんだか、わくわく、どきどき。
もう、こんなクニ亡ぼせ!とか、わざわざ言う必要がないのだ。
●
自分は何でこんな国に生まれてしまったのだろうと、おいらも思ったさ。
そすたら、mother Mary comes to me, speaking words of wisdom;
「そんなクニこそ、おめぇ~さんに、御似合いさ」って。
びっくりしたょ。
・全然関係ないけど、今日のGoogleが、わしりー、だよ;
http://www.google.co.jp/ (2011/7/12のみ)