いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

「私ぐらい嫉妬された数学者はいないのではないか」、志村五朗

2011年07月03日 19時26分00秒 | その他

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■福田恒存が「私は嫉妬という感情とは無縁である」と宣言されたのを、がきんちょの頃読んで、びっくりした(愚記事⇒私は妬いたことがない;あるいは、福田恒存や村上春樹)。今度は「私ぐらい嫉妬された数学者はいないのではないか」という数学者さまに出合う。これだけも、十分奇書ではないかと思う。購ってよかった。

昭和の成仏のために闘っているおいらの情報収集の観点からも、戦時下東京の一高⇒東大生の生活の一端がうかがえる。なにより、志村五朗センセは「我に師なし!」といった天下天上唯我独尊的天才さまであって、ひとりで偉くなった数学者らしい。これは冷やかしで言っているのではなく、こういう気質って重要だよね、と思う。

・天皇、東京裁判、ソ連・左翼、原爆、東京大空襲への見解などが載っている。

・開戦時の思い出; ―しかし開戦に対する私の反応は書くべきであろう。(中略)一二月十日のマレー沖でのイギリス二戦艦プリンス・オブ・ウエールズとレパレスの撃沈が印象に残った。ほかのことは忘れたがこれだけは「痛快だ、ざまあ見ろ」と思った記憶があり、そう思った事を今でも後ろめたくは感じていない。 
 現代の人は歴史の書物でしか学ばないが、当時の世界地図を見ると大英帝国の領土が驚くべき面積を占めていた。色分けしてあるからひと目でわかるのである。
―⇒これだ!

―そういう植民地の上にあぐらをかいて何の反省もなく、阿片戦争とか自分達の都合のよいように勝手に悪いことばかり ......(以下、藤原正彦センセの本に続く????)

・鈴木庫三家族の話(中傷)も載っている。(関連愚記事; 鈴木庫三さんの見た筑波山

・1960年代中盤の欧州への航空券代は当時の若手研究者の年収の額ほどであった。でも、家までエールフランスの車が迎えに来るんだょ。

・写真を見ると着ているものが立派だ。今のおいらよりそうとう上等である。"貧乏"でも身なりだけはがんばっていたんだろうか?

・「買い食い」考はびっくり。これは見たことがない。希書だ。っていうか、ささいな当たり前のことを正式に文章にしているのだ。一方、こうやって文章にはされない慣習は記録に残らず、歴史に消えていくのだろう。

・野依大尊師への異論の文章(新聞への投稿)なども載っている。

・老人問題こそが問題であると糾弾する75歳! 自己否定のゼンキョートー(彼の孫子の世代)の実践か!?

・自ら恃むところ頗る厚い才人で、アナーキー気分芬芬な御方。その筋の人にはお勧め!

■Amazonの書評には「鼻につく」とかの意見もある。おいらは、この天才奇人の自伝を読んで、嫌な感じは全くしなかった。他人の自慢話を聞くのが嫌だという人は多い。おいらは、案外(?)、酒の席でも、他人の自慢話(あきらかなウソ臭いものも含む)を聞かされるのは嫌いではない。

たぶん、まだ強烈な自慢話語りに出合ってないからだろう。「私ぐらい嫉妬された人間はいないんだよ!」なんて聞いたことがないからだ。

▲圧巻は「小人」認定である。理系諸君はみんなが持っている(?)教科書のあのセンセも、マッカーサー将軍さまも、小人、扱いである。この志村センセの所業に対し、おいらは、おまいはどんだけ偉いんだょ!というつっこみの心は露もわかず、ただただ圧倒された。

▼この本は今週買った。この本にたどりついたいきさつは、先週のブログ記事で (今日の看猫2011/6/28、あるいは、敵役(かたきやく)について、幻のデカルト-天皇ライン) 丸山眞男に言及した。その時、wikiを見た。その中に丸山批判の一人に志村があった。(ちなみに、関係ないけど、wikiの丸山眞男の項の愚記事;「御殿女優」が訂正されていた。ちゃんと御殿女中直っていた。)

●と、嫉妬されたことのないぬんげんのおいらが書いてみた。 ちなみに切絵図とはこういうものです⇒切繪図。志村センセは徳川家家臣(尾張家)の子孫。生まれは浜松(愚記事;「滅びるね」 @浜松駅)だが、祖先の住居と自分の育ちは旧江戸。

*蛇足。 上記画像でポストイットを入れてあるところは、「愚劣」という言葉が書いてるページ。最初は、この愚劣についての考察をしようと思ったが、あまりに悲しいのでやめた。愚劣なぬっぽん!安らかにお眠りください。再び、愚劣さが出来しないように。