いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

おいらどものダーチャ; Наша дача (ナーシャ・ダーチャ)

2010年12月26日 17時59分19秒 | 筑波山麓
おいらは畑を借りている。自分の餌を獲得しようとがんばっているのだ。賃料は、年間1万4千円だ。



最近の収穫物はカブやニンジンだ。ニンジンは赤いのと黒いのを植えた。



■ダーチャとはロシア語で、モスクワなどの大都市郊外の都市住民向けの耕作地。ピョートル大帝の時代に始まったとされる(wiki)。貴族の郊外・田園の別荘。でも、今モスクワ郊外で広まっているのは、ソ連時代にできた制度のものだろう。つまり、庭付き一戸建てがないモスクワでは、街には畑などない。一方、ソ連時代に共産主義体制では、日常の食料品の生産がうまくいかなかったことから、共産党はモスクワなどの大都市住民に郊外の土地を与え、自分たちの食料を作らせた。郊外の農地=ダーチャ。もちろん、モスクワなどの大都市住民は日常はソ連のための"奴隷労働"に従事しなくてはいけなかった。なので、週末に郊外のこのダーチャに通って農作業を行った。このダーチャの危うさは"私有財産制"に結びつく可能性があったこと。ただ、いまから思うに、その割り当てられた農地を割り当てられた家族だけが耕作できるという規則があったのだろう。土地を広げて企業化などもちろん不可能。かりそめにも、土地を広げて企業化したいならば、労働力商品を購入しなければならず=人を雇わなければならず=労働者を搾取しねければならず、ソ連の原理原則に抵触する。

さて、今年ロシアにパックツアーで行ったとき、モスクワ住民が各々のダーチャに行く渋滞に巻き込まれた。バスから乗用車を見下ろすに、みんなうれしそうに郊外に向かっていた。そして、見た風景;



郊外へ向かう幹線道路の道端で、労働力商品を売る立ちんぼさんと、交渉するモスクワ住民。ガイドさんが説明するには、労働力商品を売る立ちんぼさんたちはソ連崩壊でモスクワで流入した旧"ソ連帝国"の旧"臣民"。特に中央アジア。ムスリム系。仕事がないので、ダーチャに向かうモスクワ住民に日雇いで雇ってもらって、ダーチャでの農作業をするのだ。ソ連時代にはなかったはずの風景に違いない。



バスから見たダーチャ。耕地に小屋を建て、週末は泊って、農作業をするらしい。しばしば、全焼している小屋を見た。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。