いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

昭和20年3月18日、終戦工作開始、あるいは、終戦ピクニック計画

2010年03月18日 19時31分53秒 | 日本事情


■おいらが近代日本で一番好きな画像はこれかこれである。

広田センセが見たら、「ホレ、見たことか!」と狂喜したであろう。

後者の歴史的場面はがきんちょの頃から親しんできたが、カラー画像があると知ったのは1990年代後半、ネット上であった。今でもこのカラー画像を読み込むと、得る情報は尽きることがない。例えば、なぜ梅津参謀総長だけ「休め」の姿勢なのか?とか。今日の本題の画像(皇国の荒廃この一帯にあり)のカラー画像があれば大変なことだ。

■上記画像は昭和20年3月19日の朝日新聞の一面である。
ひろひとさんが、焼け野原を歩かれたのが今日3月18日。

御徒歩にて焦土を臠はせ給ふ (画像左の縦書きの註)臠はせ給ふ=みそなわせたまう;古語になったよね。*1

よくよく考えてみるとこの画像は誰が何のために撮ったのか?を明らかにしている歴史書を、おいらは知らない。おいらが知らないだけなら問題はない。誰かその歴史書を教えてくれ。そもそも、この画像は誰が何のために撮ったのか?というより、なぜひろひとさん焼け野原視察が実現したのか?誰が何のためにひろひとさんをして視察せしめたのか?さらには、それを撮影させ、かつ全国に広告させたのか?という問題である。

■無知なおいらが知らないだけだったことは、何とこのひろひとさん焼け野原御徒ツアーの動画映像があるのだ。つまり、<主権者>は、ひろひとさんをして焼け野原を歩かせしめ、さらには、動画映像で記録させたのだ。

目的は?

■おいらが睨むところでは、終戦工作だ。こんなに東京が焼け野原になったのでは、戦争に勝つなんてありえない。あまつさえ戦争に負けるから覚悟せよというメッセージを生のデータで、動画映像を通して、知らしめたのではないだろうか? 終戦必至なり!と。

■もちろん、バカ朝日や当時映画館でニュースとして流されたであろう動画映像では「敵撃滅」とおためごかしを叫んでいるが、もう純粋無垢な庶民には、「ニッポン、おわたー ー\(^o^)/」と無意識にでも、理解したことであろう。

▼まとめ: 昭和20年3月18日のひろひとさんの焼け野原御徒歩は、終戦ピクニック計画である。

東京大空襲・昭和天皇の御視察/Great Tokyo Air Raid


■ピクニックの結末は;

昭和20年8月13日

___________________________________
*1;
「臠」という字は“細かく切った肉、切り身”とか“やせる”とか“細かく切る”などの意味があり、日本では誤用ではありますが、“ごらんになる”という意味もあります。ソース
↑ なかなか意味深長。


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