ある農家からお米を、
ちぃーとはでたらめ英語を話すので、つまりは偽毛唐なので、ホームステイの最初の日に行って、お客の毛唐さんとその農家の夫婦の通訳でもしましょうか?、あるいは、フリーの日の饗応役をやりましょうか?と願いでたのであった。はたして、頼むという農家からのお返事。2日間出仕した。
第1日目; 平日の夕方農家の家に、そのお客の毛唐さんはやってきた。役所の歓迎会の後、訪問メンバーはそれぞれのホストファミリーに分かれて行った。農家での晩ごはんにおいらも参加。その毛唐さんは、最近リタイアした小学校教師。60歳くらいの男性。一人で訪日訪問グループに参加。訪問グループに事前に配布された文書を見せてもらった。日本での過ごす上での注意点や勧奨点が書いてあった。例えば、自分の家族の写真・アルバムを持っていて、ホストファミリーに見せましょうとか(画像2)。ちなみに、おいらはその毛唐さんの街の情報をwikipediaからコピーして持っていった。話のねたのために。その毛唐さんはおもしろがって、「私の知らないことがたくさん書いてある」と喜んでいた。
画像1
画像2
40年間小学校の教師をやったというので、アメリカの学制である6月から8月までまるまる休みということについて聞いた;「おまえさん、毎年3か月まるまるある夏休みを取る人生を40年間過ごしたのか?」とおいら。「然り」と毛唐氏。「どのように過ごしていなさった?」とおいら。「旅行したり遊んでいた」。「優雅な人生だにゃぁ~!」とおいら。「然り」と毛唐氏。世界いろんなところに行ったらしい。そして、キャンピングカーで金をかけず、遊びまわっていたらしい。
第2日目、土曜日; 毛唐さんは1週間ほど滞在した。グループとしての日程もつまっていた。フリーの日はホストファミリーがイベントを考え、実行しなければいけない。考えつくどおり、その農家は観光に行くことにした。その観光の案出と実行に出仕した。まずは江戸ワープステーション・江戸(web site)。選定がベタだけど、いいのだ。ここは時代劇や映画の撮影用の野外スタジオ。江戸時代ものの撮影用に建物や街並みなどのセットがある。
【毛唐さんの御下問】;武士の子弟の教育はどうしていたのか?
この後、常磐自動車道に乗って、笠間に行った。日動美術館に行った。日動美術館は私立の美術館(web site)。前の日の第一日目の聞き取りでツアーは笠間に決定。ホスト農家さんは笠間の陶芸体験教室を提案。やはり農家さんは"土"からは離れられないのだ。毛唐さんがそれはいいと判断。ちなみに却下されたツアーはつくばの宇宙関連の展示館系のもの。笠間に行くことは決まったので、日動美術館をおいらが便乗提案。アートに興味があるかないかは重大な問題ではあったが、この毛唐さんの子供は美術の修士大学院の出で、さらには抽象画の作家とのこと。後日、web siteで作品を見た。
―アンディー・ウオーホール、『C夫人肖像画』―
毛唐さんがえらく気に入ったのは、アンディー・ウオーホール、『C夫人肖像画』。どうやら、"いわゆる東洋女性好き、つまりアジア・フェチの男性"なのだろうかと感じた。なぜなら、さっき、学生時代に女性日本人ゴルファーのZさんをみたときの昔話をしていたからだ。ちなみに、毛唐さんはゴルフが趣味とのこと。
このモデルのC夫人は、この美術館のオーナーさんだと教えてあげた。このあとショップで、『C夫人肖像画―世界の巨匠29人に愛された女性 』を示してあげたら、津々と見いっていた。でも買わなかった。
つつじの咲く公園に行った。田園風景が見渡せた。
【毛唐さんの御下問】;子どもの通学交通手段は何だ?
笠間稲荷にも行きました;
予約してあった陶芸体験教室に参加。ろくろをまわす。おいらは生まれて初めてろくろを回して粘土をいじった。すごい難しい。ろくろは薄くなった粘土を折って重ねたら、それで終わり。空気が入ると焼く破損する原因となるらしい。粘土を折って重ねたら、材料の粘土を取り換えるしかない。
この教室でつくったものは希望すれば焼いて送り返してくれる。毛唐さんはいらないと断った。
再び常磐高速で筑波山麓のその農家に帰った。晩御飯は歩いていける近くの割烹風の日本料理屋。すしだの天ぷらだのをその農家の人に散々おごってもらう。ありがとう、お大尽。もちろん、毛唐さんもおごってもらっている。草の根思いやり予算である。
そこの日本料理屋のオーナーはゴルフが好きで、カウンターにゴルフ関係の雑誌だのパンフレットだのがあった。県内の老舗ゴルフコース(戦前からある)では日本女子プロトーナメントをやるらしい。その解説雑誌があった。はたして、毛唐氏が学生時代にみた日本女子学生のZさんは今では貫禄あるプロゴルファーであり、その雑誌に写真が載っていた。それを見た毛唐さんは、うなった、 She got weight!
"いわゆる東洋女性好き、つまりアジア・フェチの男性"なのだろうか?という疑問について。なんのことはない、もろにそうだった。奥さんは日系人。日系人奥さんの家について聞くと、奥さんの親の世代が一世(アメリカに渡った最初の世代)らしい。サンフランシスコ周辺で漁師をしていたそうだ。でも、戦争で、日系人収容所に入れられた。おいらは、日系人収容所「も」concentration campというのだと始めて気付いた。ここで、「も」といのは、ドイツのユダヤ人の収容所はconcentration camp という。日本語訳はしばしば「絶滅キャンプ」とか「絶滅収容所」となっている。なので、concentration campは相当きつい言葉だと思っていたのだが。その奥さんはアメリカ生まれ。その毛唐さんはベビーブーマーの世代(日本でいえば団塊の世代)に違いないので、似たような年とすれば戦後生まれなんだろう。つまり、収容所から解放された後生まれたのだろう。その奥さんは日本に来たことがないそうだ。子供たちは日本に来たことがあるとのこと。その奥さんが日本に来ないことには何か理由がありそうな気がした。尋ねなかった。
さて、晩御飯の日本料理屋に戻って、その日本料理屋のオーナーの息子が板前をやっている。青年である彼は10年前にこの姉妹都市交流事業で相手がたのアメリカのその街にホームステイしたことがあるとわかる。中高生の年頃だった。店と家が一緒なので、写真を持ってきた。その板前氏のアメリカでのホストファミリーの写真である。毛唐さんが見ると、果たして、知った人であった。日米とも田舎の街は小さいのだ。
そして、そのアメリカのホストファミリーの写真はそこの店で撮ったものだった。つまり、最近、かつてのホストファミリーの子供がNavyに入り、横須賀勤務になった。その横須賀に息子に会うためそのホストファミリーが横須賀に来た。そのついでに筑波山麓のこの日本料理屋に来た時の写真なのだ。板前氏は全く英語を話さないが、手紙で何月何日何時何分に常磐線XX駅に来てくださいとメールで指定したとのこと。そしたら、来たと説明してくれた。
この休日のフリーの日、つまりこの日のホストファミリー接待日以外にもう一日平日にホストファミリー接待日があった。その農家さんはゴルフに毛唐さんを連れていった。やはり御大尽さまなのだ。草の根の思いやり予算は大尽されるのであった。そして何より、この日ワープステション・江戸、日動美術館から夜のすし・天ぷらの飲み食いに至るまで一切おごってもらったのは、おいらもそうであった。カウンターにすわって板さんが握る鮨を食べたのは何年ぶりか記憶もたどれない。お大尽の農家と毛唐さんに偽毛唐としてたいこもちをして、さんざんおごってもらったのだ。
やはり、外交は幇間に限るとつくづく思った。