goo blog サービス終了のお知らせ 

いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

悪魔の甘えたボンボン代弁者

2010年12月05日 11時25分45秒 | 日本事情



■[発声練習] ポスドク、博士の就職問題がボンボンの甘えにしか見えない理由より。

悪魔の代弁者という役割がある。ある主張や論に対し、反例や反論の提示、あるいは、そもそもその主張の内部不一貫性を指摘する。これはその主張を鍛えるためには必要なプロセスである。研究者が論文を書く時など、無意識にでも、自分で悪魔の代弁者をやって自分の論文を彫琢、鍛錬していっていることは日常のことである。

さて、上記の[発声練習]氏の悪魔の代弁者は、ブログ記事:学振PD騒動雑感:なぜポスドクの人件費は「生活保護」扱いされるのか(リンク切れ)に対し演じられた。その記事は、政府の研究者支援政策の予算が増えないこと/減らされることに対する憤りであり、特に、"研究者は「『人類のために研究成果を役立てたい』という使命感や知的好奇心から自ら進んで基礎研究に身を捧げる」人種で"あるのに生活保護者扱いするのは許せないと憤激している。

それに対する[発声練習]氏の悪魔の代弁者としての反論は4点;

・「博士課程まで行けたこと」=「裕福な証拠」でしょ?
・誰もが好きなことを仕事にできるわけではない
・生活がおびやかされているのは博士号取得者だけでない
・税金を投入する必要はあるの?

以上の4点はかなり限定された反論であり、甘いなぁ、ぬるいなぁと思わざるを得ない。全然悪魔じゃない。まさに、甘えたボンボンの悪魔の代弁者である。

愚ブログの視点、 なぜ、博士は産業界から忌避されるのか? 序説以前のデータ収集 から指摘する。

博士過剰時代において、大学や研究所などの税金を使って生きることができなかった博士たちのありうる生き方は産業界で職を見つけることだ。事実、過剰博士の"さばき先"として、博士を"作った"当事者からは、期待されている。しかし、現実には難しい。産業界は博士の雇用に積極的ではない。先年などは博士を1人採用すると500万円の政府補助金を企業に補助するという政策まで施行されたことはまだ記憶にあるだろう。

企業が博士を忌避する理由は、よく流通している言説はこのようなもの;

企業側が博士号取得者を敬遠するとの話は、私の覚えている限り限り10数年前から聞いていました。

それを、今回、実際に体験しました^^

私の考える限り、企業に敬遠される理由は極めて高度で狭い専門性と、自己PRの不足だと考えている。 研究ではあらゆる困難に対し多面的なアプローチで解決できる能力を持っているにもかかわらず、そこをうまくPR出来ていないと感じます。 企業側の方は、博士取得者は極めて高い専門性のあまりに融通がきかない人が多いと言っていた。 また、目標設定が異なっている。 企業では、社会のニーズに沿った製品開発等から企業利益までを、アカデミアでは、興味のあることを自己満足で・・・(的な話だったと思う) (ポスドクの転職活動日記


つまり、博士は専門性はあるが、企業での各種スキル(だけ)が問題であるという言説。

ちなみに、企業の博士採用に関する公式見解というのは事実上ない。だから、経験から推定・忖度するしかない。そういう推定・忖度はこれまた表面化しない。なので、企業の博士採用に関しては謎のままである。

そんな中、公式インタビューがあった。これはアステラス製薬の人事担当官が答えたもの。採用する博士は、1)35歳前、それより年よりは採らない、2)入ってすぐ会社カルチャーになじまない人は採らない、3)今は200人の応募に1人の割合の採用率、だそうだ。情報元は独立行政法人・産業技術総合研究所 能力開発部門 人材開発企画室が税金を使って作った報告書「現場連動型(OJT型)育成プログラム 検討委員会 報告書 博士の活かし方 博士は21世紀の人財鉱脈 」より(pdf重い!注意)。 (アステラス製薬の人事担当者インタビューあり)

ただし、この企業の担当官の言い回しの慇懃さは味わい深いもので、相当"遠慮"して言っている。本音は採用したい博士なんてめったにいないということなんじゃないかなぁ。邪推するに官庁や産総研とのしがらみでしかたなくインタビューに応じたのではないだろうか。

■基本的には、「博士は専門性はあるが、企業での各種スキル(だけ)が問題であるという言説」の線。

しかしながら、最近おいらが直接企業の人から聞くに事態は違うと思う。すなわち、先日大手メーカーで新人の研修担当の50歳代の人の"愚痴"を聞いた。大手メーカーが採用するマスター出の新人社員のレベルが昔とは大違いだと。端的に基礎学力がないと。もちろん全員がそうだとは思わないし、そのメーカーが間抜けなのかもしれない。でも、よその大手メーカーでも最近聞く話だ。

おいらもここ10年バイト・非正規という底辺で生きてる間で旧帝大マスター出のバイト・非正規労働者に出合い、少なからずがびっくりするほど仕事ができない。ちなみに見た人は学部から旧帝大だった。彼らは、新卒正社員として就職活動をするも失敗して不本意ながらバイト・非正規労働に就いているらしかった。つまり、彼らを落とした会社はそれなりに人を見ていたということか。そのびっくりするほど仕事ができない旧帝大マスター出の若者にそれとなくいろいろ聞いてみるに、問題の背景にはマスター全入と、教官がマスター学生を実験補助員として使っているだけという事実がわかってきた。たとえば、少なくともここでは(場所は謎?)、「学生は使えない」という雰囲気が蔓延しているという発想は現状をよく示している。学生は派遣労働者ではないのだが。

つまりろくな選抜も行っていなければ、まともな教育も行っていないらしいのだ。

そして、ドクター出も産業界で評判が悪い本当の理由は、博士はばらつきが多い、なんでこんな仕事ができないのが博士なんだ!という声(personal communication)。大学院重点化で希望すれば大学院にほぼ入学できるようになったこととあわせて就職氷河期を経て、大学院出の意味が変わった。

35歳になって中途採用を望んでくるポスドクを見て、同世代で10数年前に企業にすぐ入った学部出の"エリート"社員はどう判断するだろうか?

大学院重点化前はマスターの入試は倍率が2-3倍はあたりまえ。旧帝大理系でも院試に落ちて大手メーカーに就職というのは普通。でもいまじゃ、大学院進学=就職できなかったヤツ、あるいは博士号とってもアカデミアに席が見つからず産業界に出てきたヤツという"偏見"の時代である。大学院出の"希少価値"、あるいは、"威"がすっかりなくなってしまった。

■さらにおいらも不思議に思うのが、読み書きできない博士。英語ができないのはザラとしても、日本語もろくに書けない御仁も結構多い。論文書けない!報告書書けない!特許書けない!。どうやら背景には、上記マスター全入と同じく、ろくに選抜もせず、そしてまともな教育もせず、しまいには実験だけさせて、教官が論文を書くということをやって博士をとっている人たちが少なからずいるらしい。公然の秘密なのだろう。勇気をもって実態を書いているブログ⇒博士号、の意味

この問題は実はおいらの時代、15年前からもあった。でも、本人と指導教官さえ黙秘すればすむので表にでない。でも、ポスドク以降論文がでないという研究者は結構いる。そういう御仁が(旧)国研のパーマネント職なんかに縁故採用されて、ずーっと論文なしという例も多い。

さらには、そもそも日本の博士号はヨタであるという意見もある;
1.2008-10-28 大学院教育で何が出来ると人が育ったと言えるのか

2.■[雑感] 博士の問題は数より指導の質では?

そういう状況で日本の大学も遅まきながら対応を始めたのだろうか?博士の品質保証に危機感が出てきた;

自ら行動するか外圧に頼るか─博士の質の保証─ 梶

__________________________________
【番外;参考ブログ記事】

よく言われる、「コミュニケーション能力の欠如」とかじゃない。基礎的な学力が足りない。