いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

古典ギリシア語履修の思い出

2010年12月09日 05時39分42秒 | ぐち

おとといの愚記事の どうしてそんなに容易に感動できるのかについて;



【プロローグ】新入直後の春。約四半世紀前。講義第一回目。オリエンテーション。今年1年やるこのコースの概要の説明。教科書は岩波全書の『ギリシア語入門』。辞書はOxfordの"An Intermediate Greek-English Lexicons"を買って使えと、その担当の教官は言った。教室には50-100人ほどいた。結局最終授業まで残ったは7人だった。その説明で、辞書はOxfordのを買って使えという細かいが、明確な指示が出たのだ。その際、「丸善で買えますから」と、教官は言った。そのときある学生が聞いた。「丸善はどこにあるのですか?」

どひゃー。おいらはびっくりした。おまい、中坊かよ!!。そんなの自分で勝手に調べろやぁ。これに対し、教官は淡々と答えたように記憶している。ちなみにその頃仙台の丸善は一番町商店街の片平よりにあった。

■がきんちょの頃バカだった。なにせ、概念による 世界 の掌握を願っていたからだ。英語はもちろんヨーロッパ主要言語なんかそのうちできるようになるだろうと夢想していた。そんなおいらが古典ギリシア語に飛びついたのは当然だった。なんていったって、哲学の源流の言葉だからだ。当時はすでにおいらは米英撃滅思想を確固したものとしていた。だから単なる西洋崇拝ではなかった。むしろ毛唐文明批判のために"敵を知らば"という気持ちだった。

一方、時代はとっくにポストモダン思潮の雰囲気。近代批判は普通であった。だからいわゆる教養主義的に古典ギリシア語を習得するのではなく、むしろ近代批判のために"敵を知らば"という気持ちだった。その背景は、ハイデガーやフーコーが古典ギリシア語に依存していることにおいらが気づいたからだ。そして何よりニーチェがギリシア語屋さんだ。

始めて、すぐに後悔した。準備・予習にべらぼうな時間がかかった。"概念による 世界 の掌握"計画の妄想は雨に打たれた綿あめのようにしぼんでいった。でも、途中で逃げるのも癪(しゃく)なので、必死についていった。ちなみに、この履修は"勝手履修"であり単位は認められるが進級・卒業には関係ない単位であった。

おいらにとって古典ギリシア語履修は、広げた大風呂敷はちゃんと始末しろよ、小僧!という教訓でしかなかった。ありがとう、古典ギリシア語。

■月曜午前中の2コマぶち抜きの授業、予習で土日がつぶれる。

文法訳読法。この言葉をおいらが自覚的に覚え使い始めたのは結構最近である。文法訳読法の基本は、厳密な文法の適用を文章を構成する単語すべてに行うことである。すなわち、その単語の品詞、原型、性、格、相、時制、態などなどの諸属性をすべて解析したのちに、文意を訳するのである。文法訳読法で一番やってはならないことは、単語のそれぞれの意味、それも辞書で最初に出てくる意味を並べて、常識的にありうる文意を推定することである。

その教官は京都系の嫌味ったらしい関西弁で、(彼は田中美知太郎のところの出だった)、単語の意味の類推から訳を作りあげているらしい学生に、「勘(カン)で訳しているんですか!?」といじめるのであった。つまり、単語の意味の類推から訳することはあてずっぽうに訳することだったのだ。当然、撲滅に値するとの強靭な意志に基づくねちっこい嫌味で学生さんたちを慄(おのの)かせるのであった。

その厭味ったらしいこと、おいらの生涯で最初で最後の経験だった。のち、おいらの理系修業ではこういうことはなかった。文系の修業とはこういうことの連続だとすれば同情する。

授業では訳は毎回当たる。なんせ出席者が10人もいないので。さらには厭味ったらしい教官が怖いので、必死に予習しなければならなかった。これが難航。単語の品詞解析はひどく時間を食った。なにより格変化に加えて不規則変化もあったから。不規則変化は不規則なので辞書を引くのが相当苦労。引くのではなく辞書を読むように探した。これが時間をくった。よく徹夜になった。外が薄明るくなる。ここで横になると寝入ってしまい、起きれなくなるので、散歩によく出た。さらには、寝ないようにそのまま教室に行った。

毎回単語試験があった。出席確認がわりだろうと思うが、丁寧に赤で直して、次回の授業で、返してくれた。(↓バカだな、おいら。LとRの区別がつかず間違っている。philosohyがphirosohy、まぬけだな)

← タナトス(死)がありますね。

広げた大風呂敷はちゃんと始末しろよ、小僧!という声に励まされ、意地になって通年完走した。もちろん、今、古典ギリシア語を読む能力はない。ただ、今の商売はパラメタ表示のためにギリシア文字を使うので、それに役立つくらいだ。ありがとう、古典ギリシア語。


二十歳のときに知っておきたかったこと
二十歳(はたち)は小僧である;外国語習得は難しい;世界の概念的掌握は無理だ;少年老い易く学成り難し;二十歳のとき現(うつつ)をぬかしていると40過ぎてバイトだぜ! ありがとう、古典ギリシア語。


【エピローグ】卒業式。どういう風の吹き回しか卒業式にいった。A君にばったりあった。彼はひとりだった。A君は文学部で、古典ギリシア語で一緒だったし、サークルでも一緒だった。話すのは丸2年ぶりだった。つまり、お互い学部に上がってからは会わなかった。近況についての情報交換や昔話をした。そのとき、ふと、4年ぶりに、古典ギリシア語の開講の時の丸善はどこですか?学生のことを思い出した。4年間思い出したこともなかったのに。そういえばこういうやついたよなぁとA君に言うと、彼は答えた;

「それ、僕だ」

彼はこの後東大の院に行った。今調べたところ、偏差値50-55ほどの首都圏私大の准教授をしている。今、かれは学生さんたちからどんな質問を受けているのだろうか?

彼とはこの卒業式の日以来会っていない。