いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

ダリの絵の前で

2009年07月08日 21時08分56秒 | 欧州紀行、事情


スペインの美術館に行くと、学生・生徒の見学が多い。そればかりか、作品の前で解説を聞いているばかりでなく、子供がなにやら活発に質問、発言している。

下記解説に符号するように、画像の左手前の女性が引率の教師、右奥の女性が学芸員。学芸員が話している途中、何か言いたいがきんちょは手を挙げて示威。学芸員の話がひと段落すると、そのがきんちょに発言権が回り、なにか滔々と話す。

■その事情を書いているwebを発見した。フランスの例ではあるが、こういうことなんだろうなと思う。

フランス人はいかにフランス人になるか?

フランスで美術館に朝一番に行きますと、けっこう小学生の団体と鉢合わせします。日本だと、しまった、と思って、ひとまずコーヒーを飲んじゃったりするんですが、フランスだとこれは幸運だと思います。日本ですと、見て感じるということが重要だと考えるんですね。で、とにかく連れていって見せて、感想を書かせる。基本的には「良かったです」という感想しか出てきません。あとは、要領の良い子はちょこっと背景をしらべたりして盛りこむと先生が誉める、って仕組みです。これ、大人になってからの観光旅行まで、ずっとこれですね。パリ行ったんだって?どうだった?って聞くと、もう口をそろえて「良かった!」と言うんですね。良かったか、良くなかったか、しか基準がない。  美術館へ着きますとフランスの小学生は10人ずつのグループに分かれるんです。50人いるとグループが5つ。そこにひとりずつ美術館の学芸員がつくんです。そういう学芸員をそろえているところが日本じゃ考えられないのです。で、学芸員というのはひとりひとり専門が違いますよね。自分の担当した小学生をつれて、自分の得意な分野の展示室に直行するんです。展示を始めから順番に見るという発想はまったくありません。で、これ、という絵の前へ小学生を床に車座に座らせるんです。で、説明を始めるんですが、それはいわゆるこれを画いた画家は何年に生まれて、という式のものじゃないんです。たとえばマチスの絵の前に座らされた小学生は、その絵に使われている色を全部挙げさせられます。で、何色と何色が隣り合って使われているか、また何色と何色が隣り合わないのか、分析させられるんです。で、それが済むと今度はだだーっと部屋をいくつも横切って、モンドリアンがある抽象画の部屋へ連れて来られます。で、マチスのときに見つけた法則が有効かどうか検証させられるんです。 これは優れています。で、また別のところでは印象派の専門家に率いられたグループがモネの風景画の前で、何が画かれているか列挙させられて、それを遠くのものから近くのものまでに整理するんです。で、モネは、では、これをどこから画いたかっていうことを考えさせられるんですね。