私の印象では、米国人は、占領時代に自分の手で移植したはずの戦後日本の「民主主義」を、肚の底では当の日本の「民主主義」擁護論者ほど信用していないように見えた。これは彼らのいわゆる"Democracy"が、普遍的理念であるよりさきに、「アメリカン・ウェイ・オヴ・ライフ」の別名として、ほとんど無意識のうちに、むしろ感覚的に理解されていることを思えば当然である。江藤淳、『アメリカと私』
敗戦後の日本人の少なからずが、アメリカ人のように暮らしたいと願い、実現させたのが高度成長を経た戦後日本なのだろう。日本人をして、「アメリカ人のように暮らしたいと願」わせしめたのはこういうイメージを見せつけられたからであるに違いない。
この画像は「american way of life」の画像をググって拾ったもの。
一方、敗戦後、占領軍として来てやってきた<奴ら>は、こういう部屋に住んでいた、ことは以前書いた(愚記事;「白物家電」は、なぜ白い?)。費用は敗戦国の<俺たち>が負担した(愚記事;「日本占領米軍に払ったわれわれのお金」)。
1948年頃の占領軍家族住宅の内部。そして、こういう家を持ちたいとがんばった(人が少なからずいた)のが戦後日本だ。「American way of life」を目指し、ありついたのだ。
■ そして、児童公園。ネット、YouTubeで「American way of life」を調べていたら、知った。
左;1950年代の米国。下のYouTubeより、すべり台とブランコが確認できる、右;現代日本のある児童公園(元画像)
同じく、1950年代の米国。下のYouTubeより
米国人自身がAmerican way of lifeを賞賛するフィルムですべり台、ブランコ、ジャングルジムが揃う公園をAmerican way of lifeのひとこまとしている。
なんだ、どこでも目に付く日本の児童公園というのは米国のパクリなんだ。どうやら、国策として「ブランコ」「すべり台」「ジャングルジム」を備える児童公園が作られたらしい。
ネットに下記書いてあった;
遊具を取り巻く厳しい環境に、比較的左右されていないのが「ブランコ」「すべり台」「砂場」です。これらの遊具は、どの公園でもわりとよく見かけるのではないでしょうか。その理由は、昭和31年(1956年)に制定された「都市公園法」にあります。これは「都市公園の設置と管理に関する基準などを定めて、都市公園の健全な発達をはかり、公共の福祉の増進に資すことを目的とする」法律ですが、その中で児童公園(現在の街区公園)に「ブランコ」「砂場」「すべり台」の設置が義務付けられていました。(引用元:公園を形作ってきた遊具の歴史。ブランコの由来は?すべり台はいつから?)
1950s U.S.A. Patriotism / Education American Way of Life