いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

宮澤喜一の言葉遣いにおける「連中」

2023年02月23日 16時28分33秒 | 日本事情

 

宮澤喜一が池田勇人大蔵大臣の秘書官として、占領下に米国本国へ訪問し、講和会議について東京のマッカーサー元帥(マ元)の頭越しにワシントンの米国政府と下打ち合わせを試みた。そのことが東京のGHQ首脳やマ元に知られることとなり、彼らが怒ったという話の回顧;

 その日京都で吉田さんに、アメリカで起こったことを報告しました。だいたい狙ったラインはできました。できましたが、連中が怒っていてはどうにもならない。なんとか宥めて発表しなければいけない。 『聞き書 宮澤喜一回顧録』

「連中」ということばは否定的意味を含むものと思っていた。辞書では;

  1. 《「れんぢゅう」とも》仲間である者たち。また、同じようなことをする者たちをひとまとめにしていう語。親しみ、あるいは軽蔑 (けいべつ) を込めていう。「クラスの―を誘ってみる」「こういう―は度し難い」 (goo辞典書

親しみ、軽蔑の両方の意味を持ちうるのだ。なので、上記の宮澤喜一の占領軍への感情は「連中」という言葉から一義的にわかるわけでないとわかった。もちろん、おいらは、当初、「やつら」と互換できるような感情と受け取っていた。もっとも、宮澤は下記回顧しているので、やはり、連中は連中なのだろう;

占領下にあることがいかに不愉快なものか、いまの人にはわかってもらえないかもしれない。

一方、江藤淳との対談で宮澤喜一は「連中」という言葉を使っている。対象は新左翼系学生運動家たちである;

 ああやって大学で騒動をやっているわけですけど、いわゆる反代々木といわれている学生たちの言っていること、していることが、私にはよくわからない。(中略)
 おそらくあの連中の大部分が生まれたときからすでに世界は平和であった。 江藤淳との対談、「その次に来るもの」、江藤淳、『表現としての政治』1969年より

政権与党の政治家なのであるから、叛乱学生には否定的感情しかもっていないに違いない。

一方、この対談で江藤の言葉遣いとして次が認められる;

安田講堂を占拠していた反代々木の諸君について、ぼくはその行動に対しては非常に反感を持っていますけれども、いろいろな理由から、彼らの心情の根本にあるものについては多少推測のつくようなところもあるんですよね。

江藤は、「連中」よばわりしていない。

■ 「連中」に先駆けて「自己否定」の宮澤喜一

1969年に宮澤喜一と対談した江藤淳は、宮澤が首相となった1992年「宰相宮澤喜一論」を書いている(現在、『大空白の時代』に収録)。江藤は宮澤を秀才ではあるけれども指導力、統率力がないと描く。宮澤は高校時代に「人を心服せしむる力なきため、その統率的才能を機会少なき所あり」と教師に評され、いつも全学年で3位以内であったのに級長になったことがないのだという。宮澤喜一が頭角を現したのは秘書官としてだ。「主」の池田勇人が宮澤を認め、常に肯定し、褒賞し、おだてて仕事に務めさせたことがよかったと江藤は云う。つまり、「主」(庇護者)に尽くす立場では才能を激しく発揮するのだ。一方、自分が尽くさせる、つまり、人を心服させ大勢を統率すること才能が弱かった。その原因を江藤は宮澤の「自己否定」だというのである。自分で自分を励ますことができない。「主」に励ましてもらわないと仕事ができない。そういう性格だと江藤は分析している。さて、「自己否定」といえば全共闘運動でうたわれた惹句であるらしい(wikipedia)。「連中」のことではないか!



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