いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

・役に立つこと ・お金になること ・職にありつけること

2011年01月23日 17時37分43秒 | ぐち

▼今夜もぐちだ。おいらはdeath valleyでがんばっている。「役に立つ」ものを作って「お金」に変えなければならない、バイトなのに。さもなければ、解散で失職である。

すなわち、・役に立つこと ・お金になること ・職にありつけることがすべてである。

▼ 『役に立つこと』、『お金になること』、『職にありつけること』ことがすべてではない。

いいなぁ、そんなこと考えられる人生。うらやましい。

でも、まるでニートじゃないか。お貴族さまもそうだけど。

いや、違うのだ。

『役に立つこと』、『お金になること』、『職にありつけること』ことがすべてではないことを"示し"(?)

そして、さらには、

"より崇高な価値やかけがいのないもの"に向けてがんばっている集団らしい。税金で。

大学。

やっぱり、そうだったのだ。バルク金属ガラスは崇高だったのだ。特に役にも立たず、金にもならず、巷の労働者のための職創出に貢献したわけでもない、バルク金属ガラス。

誰ですか!? 大学人の金とポストづくりには役に立ったと言ってるのは!

やっぱ、"お武家さま"いいよ。民百姓からふんだくったカネで研究道楽ができる。

■でも、こんな本をみると少しは、あぁ大学ってこういう人がでるんだなぁと思える。



この本は、今売れてる本のコーナーで、我らが猫猫センセの『母子寮前』の横に平積みされていた。買った。

■いい本です。人文学者を目指す若者向けの"自己啓発本"でしょうか?テンション高いです。

古典を読め!という人文学者修業には不可欠であたりまえのことを、正論なのに、主張することは実は大変なことなのです。傍からみていて。しばしば、大学教授群から出される読書案内/教養教科書がボコボコにされます。つまり、古典を読め!という人文学者の王道を導くのは案外 藝がいるのです。

それをやったのが、この、佐々木中(あたる)、『切りとれ、あの祈る手を -<本>と<革命>をめぐる五つの夜話』。

本の後半では、「文学の擁護」が熱く、怒りをもって語られています。ベタにならず「文学の擁護」をしなければいけなかった状況をお察しします。でも、"ベタ"とか言ってると、中(あたる)センセに叱られます。

■西洋文明(愚ブログでは毛唐文明)史における革命、ルターの宗教改革や12世紀革命(中世解釈者革命)には思想行為が不可欠であった。具体的には、ルターの宗教改革は聖書の読解・註釈が、12世紀革命(中世解釈者革命)は古代ローマ法の読解・註釈が引き金を引いたことが書かれている。

  『切りとれ、あの祈る手を』、本文から抜き書き;

 ・ルターはおかしいくらいに―「おかしくなるくらい」に―徹底的に聖書を読み込みます。

 ・本を読んでいるこの俺が狂っているのか、それともこの世界が狂っているのか。

 ・彼は読んだ。そして不意に気づいた。この世界の根拠であり準拠であるテクストに則していないのではないか、と。

 ・彼は言葉の人です。彼は、読み、彼は書いた。彼は翻訳し、彼は説教した。彼は歌い、彼は論争した。


12世紀革命(中世解釈者革命)は愚ブログで以前書いた・12世紀ルネッサンス、アリストテレス翻訳事情 、 ・ R.E. ルーベンスタイン、 『中世の覚醒』、小沢千重子 訳 の時代の話。イスラム経由のアラビア語アリストテレス文献翻訳の時代に、毛唐さんたちは古代ローマ法を発見。読解・註釈した。つまり、アリストテレスを"発見"し、古代ローマ法を"発見"し、来る膨張ヨーロッパの礎を築いた。

■勢いで読むと、人文大好き、読解・註釈大好き、読解・註釈で新しい思想、そして社会変革へ!と楽しい。勢いがいいが、ヨタも多い。それも魅力ということにしましょう。でも、冷静に考えると、なぜ日本人に必要か?という問題が生じる。西洋文明を普遍的とみなし同化する路線はどうよ!という愚ブログのいつものつっこみ。でも、佐々木中は答えています。彼は西洋文明を学ぶことは猿真似であることは否定していないようです。

神秘主義だ、神学だ、否定神学だ、などと言って悪口を言った気でいる人間の神経がね。そんなものは、単にヨーロッパ人の内輪揉めの罵倒語でしょう。連中が前の世代を乗り越えるための内ゲバの悪口じゃないですか。そんなことまでヨーロッパ人の猿真似をしなくてはならないのか。逆です。彼女ら彼らの偉大なる足跡を見据えるためにこそ、こうした卑屈さを踏み越えなくてはならないのです。頭を冷やしましょう。連中の自作自演に、もう付き合っていられないのですよ。そうした冷徹さをもってこそ、こうした死を賭けて読みまた書くということが、抵抗と革命を呼び寄せる遥かな前兆なのだとうことが明らかになる。これは話のはじめから繰り返している通りです。

連中呼ばわりしていますが、冷徹さをもって"死を賭けて読みまた書くということ"を猿真似しましょうといっています。なぜなんら、本文では「そんなことまでヨーロッパ人の猿真似」とあります。までです。猿真似すべきものもあるということです。

::思いつきメモ;

■著者の言いたいことのひとつ。自分と世界の区別がつかないのは幼稚なことだ。自分と世界の区別がつかない人間は、

こうして、「読めぬものを読む」という苦難とは逆の、「どうせ読めてしまうものしか読まない、読まなくても先刻承知だと高を括って読まない」という安逸が、死を、とめどない死を生みだすわけです。

となじられます。

■現在の日本の思想状況にも苦言です。そして、著者の生まれた頃の革命家の口吻で攻め立てます。

アガンベンごときの尻馬に乗って、終わりだ終末だ動物だなんて言っている人は世界にうようよいますが、少しは自分がどういう低劣で無惨で粗悪な思考の形態に媚びへつらっているのか、胸に手でもあてて考えてみたほうがいい。これは忠告です。今ならまだ間に合います―と言いたいところなんですが、どうもね。まあ彼らがナチスやオウム真理教のごとき惨禍を起こさないことだけを願いますよ。

事情はこちらの見巧者のブログ記事を;東浩紀界隈の動揺

■でもさ、ルターって元祖"反ユダヤ思想家"とされているんだけど。Google; ルター 反ユダヤ

■読んで・読み込んで"革命"って、日本でも例は多いよね。

本居宣長:::古事記
吉田松陰:::孟子
徳川家康:::吾妻鏡











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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (いか@)
2011-01-23 22:11:44
新作ですか。おめでとうございます。

木々高太郎

って、知らないです、

という条件反射コメント返しにて失礼。
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Unknown (闘いうどん)
2011-01-23 20:56:00
群像2月号も買ってください
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