いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第378週

2022年02月05日 18時15分57秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第377週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の目安

■ 今週の尾頭付き


頭付き全一尾はおおいので、四分の一をいただきました。

愛知県知多郡美浜町 魚太郎株式会社 とろさば

■ 今週の<荊の簪を挿した御方>のおやつ

なぜ女の子はさつまいもが好きかについて

■ 今週の半世紀前


The Japan Times: The legacy of the 1972 Sapporo Winter Olympics

上記画像の部分拡大。

2月3日は1972年の札幌オリンピックの開会式の日であった。この会場のどこかにおいらはいたのだ。開会式は午前中に行われたと記憶している。今ネットで調べると、はたして、11時からであった。快晴であったのは覚えている。記録によると気温はマイナス8度であったとのこと。今から思うと相当寒い。

さて、札幌オリンピックの開会式の写真を見て、聖火走者たちは誰であったのか?調べた。簡単にわかった。 最終走者(google)。 今、初めて知ったが、彼らは当時高校1年生だったのだ。若い。

聖火はまず会場に入り氷リンクを女性ランナーがスケートで滑って運び、男性走者に渡した。男女役割分担があたりまえの時代だ。おいらにとって、このシーンは、その後、さんざん映像でみたことで記憶されたのだと思う。その当時の生記憶だと思えない。さらに確かなことは昭和天皇の宣言があったはずなのに、全く覚えていない。おそらく、「天皇」という概念をもっていなかったので、その状況が何であるかわからず、理解できず、記憶されなかったに違いない。罰当たりなことだ。おいらは、最初から尊皇家失格だったのだ。

■ 今週の訓練

朝鮮半島は以前は米韓合同軍事訓練を毎年行っていたが、今の政権の性格上、あるいは、米朝会談での取引の結果、最近は行われていない。それで、今では、主役の韓国を抜きで「第三国」の日豪が参加する別の軍事訓練を行っている。でも、このニュース、日本でやってないよね。

航空自衛隊のF-15・F-2戦闘機や海上自衛隊US-2救難飛行艇などは、2022年2月2日(水)から2月18日(金)まで、グアム・アンダーセン空軍基地を拠点に実施する「コープ・ノース22 (COPE NORTH 22:CN22)」に参加します。フランス・インド・シンガポールも参加した人道支援・災害救援(HA/DR)訓練を皮切りに、日米豪3カ国による共同訓練を実施します。(引用元:空自F-15・F-2、海自US-2など、日米豪共同訓練「コープ・ノース22」参加

18日まで行われる今回の訓練には米空軍と海兵隊2500人以上と日本の航空自衛隊、オーストラリア王立空軍1000人以上が共同で訓練を行う。30以上の部隊から約130機の航空機も参加する。韓国軍は今年は戦闘準備態勢の訓練には参加しないが、人道主義的な支援や災難救護作戦の訓練には例年と同じ水準の輸送機や兵力を派遣するという。「北朝鮮などの軍事行動阻止」米・日・豪空軍共同訓練、韓国は2年連続で不参加

コープ・ノース 2022 : 航空自衛隊が給油訓練を実施 | JASDF conducts hot-p it refueling Cope North 2022

■ 今週の日帝侵略赤ちゃん

愚ブログに「日帝侵略赤ちゃん」や「日帝侵略子供」という穏やかならぬ言葉がある。いわゆる「リベラル」(といわれている人たち)で、戦前の日本の帝国主義性を非難する人たちがいる。そういう人たちで、出身が日帝の植民地出身であることがしばしば認められる。

 Amazon

今週、佐野洋子、『神も仏もありませぬ』を、横浜市立図書館から借りて読んでいる<荊の簪を挿した御方>から借りて、おいらも、読んだ。

佐野洋子は、自分の「日帝侵略赤ちゃん」的属性に言及していた。

 何億もの人間を飢えから救った国家はすごい、本当にすごい。
 中国に行けるようになってからも、私は中国に行くには複雑すぎる気持ちを片付けられなくて何十年も経った。中国に出ばって行った帝国日本を、私一人が責任取らねばならぬような気にもなって、しかも私は帝国日本人でぬくぬくと暮らしていたのだ。
 行っても私が知っている街はない。   佐野洋子、『神も仏もありませぬ』

日帝の責任を自分ひとりがとる、という「心意気」を、おいらは、初めてみた。ただし、佐野洋子はチャイナに出張っていったと云ってるのであり、侵略しに行ったとか書いていない。でも、「責任をもつ」ことに言及している。中国に行くことに逡巡してしていた佐野洋子は日本で知り合いになった唐さん(北京生まれで、文革時に下放経験)と一緒に、ついに、北京に行く;

私は唐さんが昔の家を探していると老人に話しただろうと思う。老人は嫌な感じを私に持たないだろうかとハラハラした。老人は何度も頷いて笑ってくれた。笑ってくれたと思う私、5歳だった私は帝国日本の責任を持つつもりなのか。おばさんは小さな木の実のようなものをを細いゴムで連ねた腕は送れたまる帰る時老人はザクロを三つほども入れて渡しててんまだ笑ってくれていた。 佐野洋子、『神も仏もありませぬ』

佐野洋子は好きでこの運命に生まれたわけではないが、生まれたのはこの運命だったのだ。その運命とは「日帝侵略者」から生まれたことである。佐野洋子の親は;

満鉄調査部出身で東洋史が専門と書いていた。戦後は、三木氏の入学した静岡高校で世界史の先生をしていたという。また、洋子の『シズコさん』によると、利一は浦高、東大卒。洋子が19歳の時、50歳で亡くなったという。「支那に於ける封建語義の変遷」『歴史学研究』昭和8年11月号などを書いているよう であるとのこと。(ソース:ブログ 神保町系オタオタ日記 様記事; 佐野洋子の父、満鉄調査部の佐野利一

著書として、『南満州鉄道』(昭和16年)が認められる。佐野洋子は自分の父の生い立ちについて、「百姓の七男の父は馬や牛以下の存在でしかなかった」と書いている。百姓の七男で、東大に行ったということだ。

一方、佐野洋子は「終戦後二年、国に見捨てられた私たち」と書いている。これは、どういう意味だろうか? 帝国主義的施策の「尻馬」に乗ってチャイナに出張った人たちを、帝国日本が保護できなかったことを非難しているのであろうか? もしそうであるなら、在チャイナ日本人の保護のために日本はいくばくかの帝国主義的施策をとらねばならないではないか? さらに、見捨てられたと嘆くのは「出張者」気分であったということか? と、やはり性格悪いことをおいらは考えてしまった。

さて、佐野洋子の父佐野利一は北京大学で教えていたと佐野洋子は回顧している。ところで、佐野利一は何語で、何人に講義を行っていたのか?とおいらも思いもつかなかった疑問を<荊の簪を挿した御方>が発した。

■ 今週の訃報


・ 反米「保守」の原点:石原慎太郎と西部邁の共通体験;占領軍米兵が家に入り込んできた

・ 政治芸人;石原慎太郎

おいらは、もちろん、石原慎太郎に会ったことはないし、生の姿を遠くから見たこともない[1]。ただ1度、同じ建物にいたらしいのは、2002年2月14日(木)に、昭島市拝島のホテル、フォレスト・イン・昭和館である。当時、慎太郎は横田基地問題に取り組んでいた。返還、すくなくとも(?)民間機の利用を可能にすることを主張していた。当時、東京五輪の海外からの観客は横田飛行場から来日するという「夢」が語られていたと記憶している。

[1] おいらが見たことがあるのは当時自民党で科学技術関係の首領だった尾身幸次(画像あり)だ。

そういう状況の、2002年2月13日(水)に、おいらはつくばを8:30に出て、11:30に昭島駅に着き、11:45にホテルに入っている。その年の4月から務めるベンチャー会社の合宿があるからだ。それまでの人生で、横田基地に一番近づいた。もっと近づいたのは、2010年だ(愚記事; 横田基地参拝)。

この2002年の時、横田基地や旧立川基地の正確な位置関係や履歴、そして現在における意味などには詳しくなかった。ただ、立川の奥に米空軍基地があることは強く知っていた。敗戦の遺物であると。

今さら気づいたのは、この2002年にベンチャー企業がこの昭島で合宿を行ったのは、このベンチャーに投資している出資者が昭和飛行機と関連して、昭和飛行機の敷地にあるベンチャー会社にも出資していたのだ。昭和飛行機など横田基地には米空軍の需要を満たす業者がたくさんあるのだ。

2010年の横田基地参拝も、注文した実験装置を製造する企業が横田基地の傍にあったのだ。

さて、2002年2月14日(木)のホテル、フォレスト・イン・昭和館の慎太郎

合宿は丸1日で、メインは夜の懇親会であったが、2日は午前中の討議を経て、昼食後終了した。昼食のレストランを出ると、ホテルの雰囲気が妙に、ただし静かに、物々しい。ただならぬ人たちが一定間隔で立っている。何事かと聞くと、「横田基地問題で、返還を公約はしたが、とても無理なので、地元の人たちに説明する会合が開かれるため、石原慎太郎が来るのだ」とのこと。今考えれば、慎太郎が地元の人に会うというのは本当かもしれないが、「返還を公約はしたが、とても無理なので、地元の人たちに説明する」という動機、あるいは理由は本当であったかはわからない。なぜなら、今から考えれば、昭島市など横田基地周辺の住民は対基地感情は悪くなく、さらには仕事も受けているのだから、むしろ、基地返還などと言ってくれるなと慎太郎に陳情したのかもしれない。

さらに、おいらがついこのあいだ知った関東計画の結果、立川を始め多くの米空軍基地が横田に集約され相当設備投資されているので、横田基地返還の現実味は少ないと考えられる。

事実、独立国である日本の首都東京にこのような巨大な空間が君臨している。!と啖呵を切って掲げた公約「横田基地返還」は当時web siteがあったが、そのうちなくなり、公約も立ち消えた。

「横田基地返還」、すなわち、横田基地の大型輸送機を東京の空からなくすことに挫折した慎太郎が、代わりに標的としてのは;

カラス

であった。 これは web site が残っている。カラス対策プロジェクト

三千世界ならぬ東京のカラスを殺し、カラスが(死滅してしまって)朝を告げないのでずっと夜であるという東京は実現された(???)≡ 星(星条旗)を以て象徴となす米国は、太陽(日の丸)を以て象徴となす日本に君臨している、ということか????。

■ 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。