いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

横浜市の思い出:最後に借りた本『デペンデント ハウス 連合軍家族用住宅集區』GHQ DESIGN BRANCH JAPANESE STAFF/商工省工藝指導所編 1948年

2024年04月19日 18時15分03秒 | 武相境

横浜市に10年弱住んだ。横浜市で印象深かったのは市立図書館の充実ぶりだった。つまりは、「今の住居から約1キロメートル先に公民館的なものがある。そこで市立図書館(本館分館あわせて18館あるらしい)の蔵書400万冊が貸り出し可能なのだ。ネットで検索できて、サイトで申請すれば、その近所の公民館に届くのだ」という状況だった。古書価格が数万円であり、ちょっと自分では買えない本も蔵書としてある。上のリンク愚記事にある。こういう状況で、そのうち借りようと思っていた本がたくさんあった。でも、九州に転居することになり、もう借りられない。最後にこの『デペンデント ハウス 連合軍家族用住宅集區』を借りた。今日現在古書市場にない。以前調べた時は10万円した。なにせ終戦直後の1948年刊行の本だ。こういう本が横浜市では借りられるのだ。この本はワシントンハイツの紹介「図録・写真集」だ。ちなみに、横浜市立図書館はこの本を古書店から購入している。

この本の古書店による解説は下記;

B4横判266P 限定版 カバー・函 但し状態下記

旧代々木練兵場跡地(現・代々木公園)に建設された連合軍家族用住宅「ワシントンハイツ」の写真資料集。

設計は住宅をGHQ技術本部設計課日本部員が、家具・什器を商工省工芸指導所が担当。工事は日本建設工業統制組合の全面的協力の下、国産資材と技術により短期間で遂行された。
本書はそれら各担当組織の編集による「建設篇」「家具篇」「什器篇」の三篇と、各担当者の解説、資材表・用語彙・家具仕様書等から成る。

本文には経年薄ヤケ有り。見返に「august 27th 1948」の年記有り。表紙は僅かに変色有り。
カバー・函共に出現は稀だが、カバーには経年少疵有り。函の瑕疵はかなり甚大で、表面・裏面は経年ヤケと少疵がある位で比較的無事だが、背と天地は完全に壊れている。
 (解説:日本の古本屋より

端的に云って、ワシントンハイツの「完成図書」を一般向けに表現したといったもの。

占領軍の建築の責任者が ヒーレン サミュエル クルーゼ (Heeren S. Krusé)という少佐。

ヒーレン・S・クルーゼ少佐 (Heeren S. Kruse)が率いる太平洋陸軍總司令部技術本部設計課は、住宅から家具、調度、電気製品まで設計し、日本の業者に作成させた。(愚記事:「白物家電」(家事関連電気製品)は、なぜ白い?

日本の商工省の工藝指導所に指示して(要求仕様と設計を米軍が行い)、米軍家族住宅コロニー=ワシントンハイツを日本につくらせた。材料は日本産のものを使った。


検索すると(のち)有名となる専門家多数:豊口克平[wiki]、金子徳次郎、秋岡芳夫 [goo blog記事:進駐軍家族用家具の生産]

その成果を報告したのがこの本。この建設はワシントンハイツに限るものではなく、汎用性があるべきというコンセプトが示されている。読みづらいが、示す;

日本で調達できる資材を使い、米国人の設計、デザインで、米国人の生活様式を実現しようというコンセプト。なお、お代を払うのは日本人だ(⇒「日本占領米軍に払ったわれわれのお金」)。

■ ワシントンハイツ


現在、唯一残っているワシントンハイツの米軍家族住宅

▼ クラブハウス

▼ PX(「スーパー」)

▼ チャペル

▼ 幼稚園・学校

◆ 家具編

◆ 什器篇

● 関連リンク

Made in Occupied Japan 日本における耐久消費財産業の到来と工業デザイン 

Dependent House Series PACIFIC FURNITURE SERVICE
http://pfservice.co.jp › news pfservice.co.jp からの進駐軍家族用家具の生産
2019/06/21 — ディペンデントハウスとは、G.H.Q.(連合軍最高総司令部)による日本占領下に於ける米軍家族用住宅、いわゆる進駐軍住宅のことである。

戦後日本の主要木製家具メーカーにおける家具スタイルの展開

1946年 焼け跡からのモノづくり—DH家具

 

 



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