
■ 幕臣か!? (欧米か!?のイントネーションで)
おとといの記事へいただいたコメントですが;
人生いたるところ洞ヶ峠あり (インチキ号後悔記)
2008-09-04 00:03:59
>日本人特有のいさぎよさと変わり身の速さで、何のためらいもなく長いものに巻かれてしまった
典型例として、薩長クーデターに何ら対応できず、ちょんまげを勝手に落とした徳川旗本八万騎とか
幕末には、勝麟太郎んとこみたいに御家人株を買って地位を得た人もかなりの数居るわけだし、旗本八万騎の内そのどれほどが本物なのだろう?
確かに組織としては対応できていないけど、変われない個人は波間に沈み消えて無くなったか、ただ見えないだけなのかも。絶対数圧倒的に少ないし。
明治の御代には市井に沈み、子々孫々不適格者を排出し続ける者も(w。
単にに処世術に長けていないだけなのかもしれないけど、個々には靡かない者もいる。
以下の如きオイラ的バックボーンに基づくルサンチマン的視点だけどね。
うちの親分は、岡崎松平氏とはコインの裏表を成し、且つ、家康を織田に売り飛ばしたとされる戸田家である。(因みに、イカちゃんの竹雀会にあたるものは六星会)
幕末には分家筋の水戸戸田家が少なからぬ縁を持つ水戸天狗党と戦い、長州征伐にも従軍し、戊辰戦争では一転、薩長に与したりして
配下の徒士には第二次東禅寺事件で英人殺害する者、城下の商人には戊午の密勅の運び屋もいたり・・・支離滅裂、精神分裂症状態で藩士たちは維新後ちりぢり、もとより地元民じゃないしね。
直接のおこたいはともかく、「戸田」って典型的幕臣的苗字なのでは?
薩長ちんぴら兄ちゃんどもは、動物的カンがすぐれていたので、弱肉強食の闘争にはつよい。これは、かれらが大脳が発達せず、小脳・間脳が異常に発達していたと推定できる。(冗談です、もちろん)。 なので、捏造した国家の運営に必要な官僚の育成のためのデーガクなど文化装置は、薩長のちんぴら兄ちゃんではできねえー。だから、テーダイ ソーチョーにはあの会津の山川や旧幕臣の外山になってもらったのを典型例として、官僚や文明は旧幕臣・旧正統派武家が担った。今も学者には旧幕臣的名が多い。
これは、なかなか複雑なことを意味する。つまり、ガッコを出て出世せよ!という教育はガッコ外で、つまりは家庭でなされる。旧幕臣子弟の少なからずは「ガッコを出て出世せよ!」という家風で育つのだと、推定できる。
で、「戸田」に戻ると、こういう御仁が旧幕臣家系だとすると、おいらの妄想的作業仮説は妥当であることになる↓。
戸田盛和エッセイ集〈2〉物理と創造 (戸田盛和エッセイ集 2) (単行本)
▼もとより地元民じゃないしね。
これこそ徳川譜代の運命。 家臣の植木鉢化。 家臣を植木鉢のようにあちこち動かし決して根付かせるな!というのは荻生徂徠のアイデア。 この「植木鉢」性が徳川譜代と(有力)外様大名家臣との決定的相違。元祖根なし草! 身過ぎ世過ぎのサラリーマン根性はこの時代からはじまっているんだす。 恐るべき、ドレイ国家、ぬっぽん。
イカちゃんの勝ち組サラリーマンの話って、華族に列せられた譜代の大身の話でしょ。
うちの親分の子孫は、藤原氏を騙って東宮侍従長なんか務めていたけど、そういった感じ。
下っ端の家来なんか糊口を凌ぐのが精一杯で市井に沈む者数多だが・・・
うちは勝てる見込みがないから生き残るため転んださ。
大兵力と最新の兵器を装備し、一戦交えれば薩長など蹴散らせるであろう幕軍が動かないんだから、どうしようもなかっぺ。
抗戦、恭順拮抗する中、藩主裁定で薩長を取ったんだ。(江戸期以前だったら、勝ち馬に乗るのは至極当たり前の選択だけど)それでも猶、幕軍が動いたら離反、呼応して挟撃しようって人たちも沢山いたんだよ。
結局、薩長について生きながらえたけど、恭順しても何も得る物はなかったわけだから、抗戦派の不満は大きい。結局藩内には対立だけが残り明治になって耶蘇や、ニートになったとさ。
鳩山の婆さんのように財力がある者を除けば、出世した連中って、ただくじ運が強かっただけのようにも見えるのも、不適応のなれの果ての僻み根性故か。
で、やっぱり日本一豊かな大国仙台藩御家中は譜代とは違うのかいな。
敗者の使命という任務というものがあるかも。
>>一日中庭を眺めて鬱々と暮らしていた社会不適応者がいる。<<というのは、むしろ、美しい話。
山口昌男の『「敗者」の精神史』の世界。 山路一家が静岡に帰ったのであれば、典型的「最後まで徳川家臣」。
>>うちの親分の子孫は、藤原氏を騙って<< 藤原氏を騙る、というのは、藤原惺窩がしたように、家名ではなく姓を名乗ったということではないですか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%83%BA%E7%AA%A9
とまれ、敗残者も、新たな落人・おちゅうど伝説の起源となるのも、またよし。
>敗者の使命
・・・完全に放棄しているね
落人伝説。
まったくその通り。
その次の世代が教師、ポリスの類の下級官吏に就くも長続きしない。
当世風のあり方は相容れなかったようだ。
イカちゃん的朱子学の奴隷かな。
>家名ではなく姓を名乗ったということではないですか?
そう、本姓だね。
この辺、姓だ、名字だ、入り組んでいてよくわからん(詳しくはwikiで調べてね)が、
幕藩体制下で徳川から賜った松平姓(戸田は久松同様、姓も名字も松平を名乗って祝賀の儀では一族に列する)ではなく、朝臣としての姓。
ずっと公家との婚姻が続いた(正親町三条実愛の母親がそうであるように)訳だけど、それとは別に男系家系上正親町三條が名字で藤原が本姓だと。
恐らく始まりは、赤の他人の地頭だろうと思うが。
昨日まで源でございと言ってたのにこの様。
廃仏毀釈で藩主自ら率先して菩提寺を廃し、領内の寺院は悉く打ち壊し。
http://takara.city.matsumoto.nagano.jp/city/135.html
オイラの先祖のうち幾人かの墓がその向かい側にあるが、明治中期以降、多くの寺が安普請とはいえ復興する中ここに其れは無かった。
酷いもんだ。
そこまでしてお零れに預かったのは、戸田家や重役の一部。
以前ココで、年老いた墓参者に「戸田様のお墓はどちらですか」と訪ねられたことがある。
恨んだり憎んだりある、それでも「戸田様」な人がこの世にはいる。
アナーキーなオイラは違うが