いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

自暴自棄以前のカラー画像

2008年09月02日 20時43分53秒 | 日本事情

- 1945年9月2日 東京湾のミズーリ号甲板 -

- - ドイツでは、一九四五年ヒットラーが自殺してからわずか一週間後に国防軍が無条件降伏した。連合国は、もはや実効的支配を行うに足る国家権力が消滅したとの理由で、国家としてのドイツを一方的に征服した。つまり、戦後のドイツは、いかなる意味でも歴史的なドイツ国家との継続を失った。ドイツの歴史は単純に断絶したのである。

 このような歴史的先例と比べてみると、わが国の先の大戦における終戦は歴史上に類例のない敗戦でありながら、受諾した「降伏」をこれほど見事に一糸乱れず遂行し得たことは、まさに誇りとしてもよいほどの偉業ではなかったのか。敗戦とはいえ結果としてアジア解放という使命を果たした事実、降伏という世にも至難な事業を秩序をもって成し遂げたという充実感を、子々孫々まで語り伝えなくてもよいのか。誇るべき偉業の条件を揃えながら、なぜ日本人はこれほど卑屈になってしまったのか。
 それは、日本人が敗戦に慣れていなかったからなのか。敗戦の重みにひしがれて自尊心まで失い、ひたすら自暴自棄となったからなのか。それとも、日本人特有のいさぎよさと変わり身の速さで、何のためらいもなく長いものに巻かれてしまったのか。いや、もっと単純素朴で、単なる歴史音痴か健忘症のなせる業なのか。 - -


 色磨力夫、『日本人はなぜ終戦の日付をまちがえたのか―8月15日と9月2日の間のはかりしれない断層

■ 御意。 「日本人特有のいさぎよさと変わり身の速さで、何のためらいもなく長いものに巻かれてしまった」んだす。

御意。 日本人特有だす。 ドレイ根性は日本人特有だす。

典型例として、薩長クーデターに何ら対応できず、ちょんまげを勝手に落とした徳川旗本八万騎とか。

■蛇足;

上記画像の重光葵の「この時」の気持ちは、これに詳しく書いてある。 酔狂な御仁はどうぞ。







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1 コメント

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人生いたるところ洞ヶ峠あり (インチキ号後悔記)
2008-09-04 00:03:59
>日本人特有のいさぎよさと変わり身の速さで、何のためらいもなく長いものに巻かれてしまった
典型例として、薩長クーデターに何ら対応できず、ちょんまげを勝手に落とした徳川旗本八万騎とか


幕末には、勝麟太郎んとこみたいに御家人株を買って地位を得た人もかなりの数居るわけだし、旗本八万騎の内そのどれほどが本物なのだろう?
確かに組織としては対応できていないけど、変われない個人は波間に沈み消えて無くなったか、ただ見えないだけなのかも。絶対数圧倒的に少ないし。
明治の御代には市井に沈み、子々孫々不適格者を排出し続ける者も(w。
単にに処世術に長けていないだけなのかもしれないけど、個々には靡かない者もいる。
以下の如きオイラ的バックボーンに基づくルサンチマン的視点だけどね。

うちの親分は、岡崎松平氏とはコインの裏表を成し、且つ、家康を織田に売り飛ばしたとされる戸田家である。(因みに、イカちゃんの竹雀会にあたるものは六星会)
幕末には分家筋の水戸戸田家が少なからぬ縁を持つ水戸天狗党と戦い、長州征伐にも従軍し、戊辰戦争では一転、薩長に与したりして
配下の徒士には第二次東禅寺事件で英人殺害する者、城下の商人には戊午の密勅の運び屋もいたり・・・支離滅裂、精神分裂症状態で藩士たちは維新後ちりぢり、もとより地元民じゃないしね。

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