かつてイラク戦争に賛意を示したヒラリー(すなわち、帝国主義者)を、先の大統領選挙で応援する当時現職の副大統領であったバイデンは、当たり前の真実を、云った;
日本の憲法はわれわれ(アメリカ合衆国)が書いた
。
イラク戦争はともかく、米国は朝鮮戦争、ベトナム戦争と日本の軍事基地をほしいままにして戦争をやり続けていた。
9条「護憲派」は、実効的には、何もできず、ただただ、「米帝」の出撃を許してきた。
さらには、日本「保護領」政府@中曽根内閣@@後藤田官房長官は、1986年の「米帝」によるリビア爆撃[wiki]を「容認」している。
つまり、日本から出撃した米軍が朝鮮やベトナムやクエートでどれだけ「外国人」を殺しても不問にする。その米軍に基地と「おもいやり予算」を与えているのにである。これはやくざには絶対ならないが、やくざに金を払って自分の安全と利権を確保する成金と同じ神経である。 (愚記事: 後藤田正晴 の死)
米国の戦争はOK!日本の戦争はNo! これが後藤田=マッカーサー憲法の君臨するところの「ぬっぽんえすたぶりっしゅめんと様」(=外交官から朝日新聞まで含む::何のことはないみんな東大法学部出身)の「身過ぎ世過ぎのドレイ」の第一原理だ。
おいらは、われらがぬっぽんが戦争をできる国になることを懇願している。
戦争をする/あるいは、しないことを決断することが国家というものの最大の責務であるからだ。
現行、「日本政府」は国家でないので、すなわち、交戦権を禁じられた「保護国」なので、
国家の最高責務である戦争をする/あるいは、しないことを決断する必要がない。
一昨日の北鮮の件。
戦争するのか/あるいは、しないのかは、アメリカさまが決めるのだ。
なぜなら、われらがぬっぽんは交戦権という最も重要な国家主権を剥奪されているからである。
その国家主権の剥奪を証左した文書がマッカーサー憲法である。
このマッカーサー憲法は、これまたわれらがひろひとさんが、発布したものに他ならない。
「酋長」から「土人」まで、みんな、米国のドレイなのだ。
これをおいらは、H&M体制(ひろひと&マッカーサー体制)と秘称している
哀しいかな、これが、ぬっぽんのすんずつである。
ドレイを脱するためには、闘う能力・権利を奪取しなければ、始まらない。
そして、奪取した闘うことの権利の詳細(やるべきこと、やるべきでないこと)を法的に明らかにするのだ。
それが、立憲主義というものだろう。
立憲主義の最重要点は、自分で権力を得て、その権力の詳細(やるべきこと、やるべきでないこと)を法的に明らにすることだ。
なぜなら、それが、われわれに、「共同体の運命の主人公として、滅びるのも栄えるのもすべてそれを自分の意志に由来するものとして引き受けるという覚悟」をもたらすからである。
■ そして、 9条「加憲派」も、「米帝」の手先
今日、われらがアベちゃんが表明したらしい。しかも、「加憲派」になったらしい;
具体的な改憲項目として、戦争の放棄を定めた9条に自衛隊の存在を明記した条文を追加する
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そうなのだ。 交戦権の放棄はそのままなのだ。
つまりは、マッカーサー憲法の真髄=日本を主権国家と認めないという路線での改憲なのだ。
● まとめ
真っ暗闇の世界
右を見ても、左を見ても、 バカと阿呆の絡み合い
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