いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

戦闘機と「漢詩」;茗渓会新人87歳の「倭詞」は、あの幡谷さんちの息子さま

2017年02月05日 19時20分27秒 | 日本事情


中島飛行機製、陸軍二式戦闘機、『鹿島神宮ヤハタ号』

今日のはてなでランキングしていた記事; 筑波大学よ、その「漢詩」は恥ずかしい

内容は下記(コピペ);

茨城県にある国立大学の筑波大学には、筑波大学モニュメントというものがある。筑波大学側としては、「本学のアカデミックシンボルの一つとして、見る者全てに、学問に宿る崇高なる精神性と高揚感を与えるものになると期待」されるモニュメントなのだそうだ  。  これは、2014年に幡谷祐一茨城県信用組合会長から寄贈されたもので、幡谷会長の作った「漢詩」が記された銘板が含まれている 。これから詳しく説明することになるが、この「漢詩」は、とうてい漢詩と呼ぶことができないしろものである。一応は日本文学や中国文学の教授陣もいる大学  で、このような漢詩と呼ぶことができないしろものを「漢詩」と称した上で、「アカデミックシンボルの一つ」としてしまうのはいかがなものかと思われる。

全く時代錯誤的であり、当の筑波大学関係者はそういう意識なぞ今では誰ももってはいないとおもうが、筑波大学はまぬけな「漢詩」を掲げてはいけないと、好事家からは期待されている(???)。なぜなら、筑波大学の同窓会は茗渓会といい、東夷の倭人の匹夫には不明な暗号を用いている。茗渓とは御茶ノ水の雅号らしい。つまりは、筑波大学関係者というのは「漢」学に通じているはずなのだ(???) 事実、彼らは漢文が得意であることをおいらは見た(愚記事;お得意の漢文調の文にて、かいてありました。キーワードが「徳」でした。

今回は、筑波大学よ、その「漢詩」は恥ずかしい!とのご指摘。

でも、その「漢詩」は、筑波大学の学者さまが書かれたものではないらしい。

2010年に87歳で博士号をとられた、幡谷祐一さんの詞とのこと。 (wiki)。すなわち、幡谷祐一博士が「漢詩」を献納 寄贈したのだ。おそらく、献金もしたのであろう(邪推)。

茨城の幡谷さま! あの幡谷さまなのだ。

果たして、幡谷祐一さんは幡谷仙三郎さんの息子さまであった。

幡谷仙三郎さんとは、中島飛行機製、陸軍二式戦闘機、『鹿島神宮ハタヤ号』を献納した人だ。愚記事( 鹿島神宮ハタヤ号 )で書いた;

結論すると、その写真の戦闘機は、陸軍二式戦闘機、『鹿島神宮ハタヤ号』という献納機なのであった。その説明書きには「父、幡八仙三郎が献納した戦闘機の写真」とのこと。つまりは御子息がこの額縁を作り掲げたらしい。この時点でおいらは、このガソリンスタンドのオーナーの御尊父は戦闘機を献納したのかいな、と思った。

この「つまりは御子息がこの額縁を作り掲げたらしい」の御子息こそが、当の話題の「漢詩」の幡谷祐一さんなのだ。

筑波大で学位を取ったのだから、今では茗渓会に入っているのだろう。

韻を踏まず、平仄があわずというのは、我らが東夷の倭人が支那文字を用いてつくる「詞」の典型である。これを、哀しいかな、我らが東夷の倭人は、「漢詩」であると思い込んでいるのだ。

有名な例は角栄首相が当の中華さまにあてた「漢詩」である。⇒ 田中角栄の「漢詩」について

別に、もう、我らが東夷の倭人が支那文字を用いてつくる「詞」は、倭詞といえばいいのだ。

おバカな「漢」文字づかい、=勘違いは、皇国の荒廃この一戦にあり(皇国興廃在此一戦[1])を、  皇国の荒廃この一帯にあり  、と読み違えるおいらである。

おまいら東夷の倭人は、皇国興廃在此一戦、をよめない=口に出して発音できないだろう! 詞とは、口からこぼれる言の葉である。  (蛇足: 死とは、此の世からこぼれるぬんげんである。)

無理するな、東夷の倭人=ネトばか。 皇国興廃在此一戦、は、文明人の言葉なのだ。

だから、筑波大学よ、その「漢詩」は恥ずかしい!の漢詩にかっこがついているのは意味深い。