いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

昭和の成仏のために; 高島平団地

2017年02月17日 20時26分18秒 | 東京・横浜

昭和の成仏のために@愚記事群


老人


大きな声で中国語を話しながら自転車で行く家族

板橋区立 熱帯環境植物館に行った帰りに、高島平団地を見物した。

昭和の成仏のために、だ。

さて、高島平団地ができたのは1970年代初期。今からみれば、まだ、オイルショックは来ず、高度成長経済期の最末期であった。

今では、老人や外国人が目立つ高島平団地。 

できたばかりの当時はどんな人たちが入居したのだろうか? 経済的側面だけを見る。

その前に高島平団地を賃貸ししていたのは当時の住宅供給公団、いまではURとなっている。

そして、高島平団地の賃貸し住宅の仕様は下記のごとし;つまり今の家賃価格で5-10万円という「家賃帯」の賃貸し住宅。

ソース: UR賃貸し住宅の現状と今後の方向性について

図1

そして、上記URの資料には、年代別、家賃帯別、世帯総年収が示したあった;


図2  年代別、家賃帯別、世帯総年収 (最下段のサラリーマン平均年収はいか@が追記)

1972年にできたらしい、高島平団地は家賃水準5-10万円である。なお、この5-10万円は現在の貨幣価値に変換していると思われる。

そして、その高島平団地の家賃水準5-10万円に賃貸入居していた人たちの総収入は412-529万円なのである。

ここで、1970年代の総収入は412-529の万円の意味を考える。 図2の下においらが追記した通り、総収入は412-529万円の人たちが高島平団地に入居した時代、日本のサラリーマンの平均年収は115万円なのだ。 根拠↓


年次統計;サラリーマン年収

■ まとめ

高島平団地は昔は、当時の社会で相対的に年収が多い人たちが住んでいた。

今は、高齢者が40%だそうだ (wiki)。