いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

【デマ(拡散禁止)】 Hibakusha; 日本ブランドのバージョンアップ

2011年04月05日 05時07分51秒 | 日本事情



画像元など;
・愚記事:遺族を捜しています。
・愚記事:処女からヒバクかぁちゃんへの1945年
「焼き場に立つ少年」 1945年 長崎 撮影 ジョー・オダネル  [後記1]
放射線の検査を受ける子供達

■デマ。明らかに事実と違うことを喧伝するのは、デマではない。すぐばれる。デマとは"事実"を恣意的につなぎ合わせ、受け手に送り手が期待する考えや判断や感情を起こさせることを目的とするもの。

つまり、日本政府の「大丈夫、大丈夫」という広報は、少なからずの国民に不安を惹起せしめている点から考えて、"デマ"に失敗している。ただし、不安を煽るという政府の意図とは正反対の効果を及ぼす役割はしっかり担っている。



原発高踏派を自称しようとしたらアララギ派になりそうな件。 / Togetter - 「白田秀彰先生「原発推進派や反対派があるのなら、原発白樺派や原発耽美派があってもいいのでは?」」
http://togetter.com/li/118092


[後記1] 2011年11月23日の新聞報道;

http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20111123ddm004070178000c.html

発信箱:焼き場に立つ少年の写真=伊藤智永

 焼け野原に裸足の少年が立っている。おんぶひもで背負った赤ん坊は、すでに息がない。幼い兄は、川のほとりで小さい弟を焼いてもらうため、じっと順番を待っているところだ。きつく結んだ口もと、正面を見据える目、ぴんと伸びた指先。

 原爆投下後の長崎で、米軍カメラマンのオダネル軍曹が撮った有名な写真は、人種も言葉も超えて万人の胸を打つだろう。

 と思ったら、それは甘かった。スイス・ジュネーブの国連欧州本部に11日新設された原爆常設展示。準備段階で長崎市がこの写真を提案したところ、国連職員たちの委員会審査であっけなく却下された。

 「直立不動の姿勢が軍隊みたいだ」「この子は悲しいのに泣いていないじゃないか」。そんな物言いがついたらしい。

 そもそも長崎市は「まず被爆の悲惨さを知ってほしい」(田上富久市長)と考え、背中一面焼けただれた写真など十数点を用意したが、国連側から「子 供の見学者も来るので、ショッキングな内容は困る」と退けられた。焼き場の少年の写真は窮余の一策だったが、それもダメだという。

 やり取りを交わすうち、国連内の議論の実情が漏れ伝わった。「悲惨な目に遭ったのは原爆だけじゃない」「ホロコースト(ナチスのユダヤ人大虐殺)の常設展も申請がある」「南京虐殺はどうなる」……。

 結局、全体は国連の軍縮・核不拡散の歩みを紹介する展示となり、原爆の記述は11枚のパネルのうち2枚にとどまった。使われた写真は、広島・長崎の焼け跡と、衝撃度の少ない被爆者の後ろ姿の3枚である。

 他の惨事と比べられない被爆の特殊性。表に出さないほどに深い悲痛。どちらも日本の常識が、国連では通じない。それを分からせるのが外交だが、事のてんまつに、なぜか外務省は登場しない。(ジュネーブ支局)

毎日新聞 2011年11月23日 東京朝刊