いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

正力松太郎の野望の頓挫; まぬけな後継者が土人

2011年04月03日 13時52分32秒 | 日本事情

■技術は、古今東西いかなる人間集団にもある。"土人"だって技術はもっている。その技術がその人間集団の生活圏の拡大の重要な要素。"近代"において毛唐さん文明が世界的に覇した理由はこれである。っていうか、毛唐さんが世界的に繁殖した時代を"近代"というのだ。

■20世紀後半、敗戦後、日本の"為政者の一部"は、核武装と弾道飛翔体の国産の準備をすすめたらしい。正確にいうと核武装の潜在力を備えるため原子力発電技術の導入を米国から始めた。爆弾にせよ、発電用にせよ敗戦前の大日本帝国は核分裂反応の技術を自ら開発できなかった。つまりは、まぬけだったのだ(愚記事;とうがらし さん )。

その核武装と弾道弾飛翔体の国産の準備をすすめたらしい日本の"為政者の一部"の面子の全貌は今だ明らかではないが、明らかな人はいる。

正力松太郎 (wiki)。

プロ野球の父、テレビ放送の父、原子力の父といわれているらしい。

震災後の今、この三つが順調でなく、問題となっている。そして、三つとも米国由来のものだ。

CIAのエージェント、正力松太郎

正力松太郎がCIAのエージェントであったことは米国の情報公開文書から明らかとなってきている(有馬哲夫 『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』(Amazon))。

実は、おいらは、松太郎を"売国奴"と罵りたいわけではない。むしろ、よくぞ米国から原子力技術をせしめたものだと、驚いている。日本の核武装を恐れているのは米国に違いない。なぜなら、報復を想定するからだ。でも、その想定は杞憂であった。敗戦後、正面からの対米報復を訴える政治勢力は日本にはなかった。もちろん、一億一心火の玉だ!とか一億総玉砕!とかはおためごかしだったわけだ。そういうヘタレなぬっぽんに米国から核をパクッたのが、正力松太郎センセだ。アメリカひじきを頂戴したあわれでとんまなぬっぽんずんとは違うのだ。米国に疑われないようにCIAのエージェントになったのだ。日本に原子力技術をもたらすために。淫売かぁちゃんである。そして、おいらどもはさのばびっち、に他ならない。ありがとう、淫売かぁちゃん。

本ブログでは、戦後日本の原子力技術の米国からのバクリとその後の展開には驚き、注目してきた;

・愚記事1 重工、対米原子炉輸出

国策としての原子力技術開発は、政府(補助金・スポンサー)と、えすたぶりっしゅめんと系メーカーとの、ずるずる・べったりの物語であった。昭和37年度 原子力白書 昭和38年7月 by 国務大臣 原子力委員会委員長  佐藤栄作 をみると、日立・三菱重工・東芝など、錚錚たる日帝企業のお歴々に他ならない。 丸の内サディスティクス

最近の報道によれば仁科は核分裂の原理そのものをわかっておらず、ぬっぽん原爆開発はとんちんかんであったとのこと。この報道は、ぬっぽん核開発者は理論的にとんちんかんであったばかりではなく、技術的にもウランの濃縮が全くできていなかったという両面において、さらにはマンハッタン計画との比較により、月とスッポン以上の差があったことをあわせて、ぬっぽん核開発は田吾作でしかなったことを、あわれなぬっぽんにいつものことではあるが、改めて直視せねばならないことをおいらに知らせた。


・愚記事2 幽玄 @筑波山麓

原子力政策を統括するために創設されたのが、今はなくなったが、科学技術庁である。動燃などを傘下に置く原子力・核技術統括官庁にほかならない。この科学技術庁の創設を一番必死にやったのが佐藤栄作で、背景には上記核武装準備官僚の駆動力があったのだろう。初代長官は、A級戦犯容疑者で、読売新聞の正力松太郎。

最近は核武装論もタブーではなくなり、日本の核武装もやむなしという意見が広まっている。ファナティックな国家主義者ではない識者にも広まっていた。たとえば、「私は、シナ、北朝鮮の現状では、日本の核武装もやむなしと思っているが、放っておくと属国になるとまでは思わない、」と猫々センセはいっている。雑誌『正論』の論調などはいうまでもない。

でも、福島原発の事故で、もう原子力発電の増設、新設は国民に受け入れられないだろうという見通し。あまつさえ、核武装なぞ、技術的に日本はできるのか?という疑問が国民から持たれているに違いない。核武装しなければ、日本の安全を保障できないという立場、それを"右翼"といってもいいし、国家主義者、あるいはお望みなら帝国主義者でもいいが、の論者は、今回の原発事故に絶望しなければならないし、しているに違いない。しかしながら、表に出てきている意見では、これでは、もう日本は核武装できない!という絶望の意見はまだ見ていない。

(これに対し、そういう絶望を表明すべきと、おいらが勝手に思っていた、西尾幹二センセも核武装頓挫には言及していない。⇒評論家・西尾幹二 最悪の中の最悪を考えなかった。)

日本問題ではないのか?

今回の福島原発事故は、原子力発電技術の評判を世界的に失墜させた。嘘かホントか知らないが、「あの技術に秀でた日本が運用しても事故が起きるのだから、原子力発電は原理的に不備であるから止めるべきである」という風潮があるらしい。たとえば、ドイツで。

原子力発電は原理的に不備であるかとは別に、今回の事故の原因は日本人の運営、管理の失敗に他ならない。特に技術運営の思想。今でも、地震で原子炉は止まったのだ、冷却装置さえ津波でやられなければ問題なかったのだ、という意見を言う人がいる。素人さんならともかく、住友化学社長が経団連会長としてそうような類の発言をしたらしい。日本経団連の米倉弘昌会長は16日、東京都内で記者団に対し、福島第1原発の事故について「千年に1度の津波に耐えているのは素晴らしいこと。原子力行政はもっと胸を張るべきだ」と述べ、国と東京電力を擁護した。

アタマ大丈夫か?技術は総合的に機能して技術である。そして、技術はある目的の手段である。その目的が実現できないという結果に言いわけは許されない。こういう、技術に対する日本人の思想は、例えば、こういう結果⇒技術力で勝る日本が、なぜ事業で負けるのかとして現象する。ただ、事業として失敗するなら勝手だが、放射能ばらまいたり、日本人は原発もろくに運営・管理できないという実証例を世界に発信している。真の技術主義者、真の資本主義者、真の近代主義者はそういう点に絶望するべきだ。さんざん、原発のプロパガンダで商売してきた文化人でそういう絶望を表明した人はいるのだろうか?

ぬっぼんはポストモダンとか言うのは100年早いょ。土人でしょうか?という査定がまってるよ。

つまり、原子力発電技術の原理にもとづく理由ではなく、日本人はバカだから(あるいは百歩譲って、過酷な自然災害に対応できないバカだから)という理由で、今後日本が原子力発電をできなることは想定できる。そのとき、世界的には原発は増える。なぜなら、例えばフランスだってそういう論理、つまり日本人がバカだから事故ったという論理に立たない限り、フランスの原子力政策を擁護できなくなるから。今度の東電の緊急炉心冷却装置の不作動はとんでもない結果をもたらした。これほど日本を貶めた事例は戦後最大だろう。

テレビ、プロ野球、原子力発電所...と米国からいろいろパクッたけど、情報公開の制度とかはパクらなかったのね。残念!