いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

(無題)

2009年11月12日 19時55分09秒 | 筑波山麓

今朝の筑波山麓キャベツ畑

反米集会の永井陽之助 1943@仙台

おとといの記事で言及した永井陽之助。

1980年代前半、中曽根内閣の頃、永井陽之助は強力な論客だったのだろう。がきんちょのおいらも少し読んだ。おいらが最初に買ったのは『冷戦の起源』。今調べたら、さっぽろ一番街、丸善のレシートが挟まっていた。

さて、10年くらい前に突然思い出したこと。誰かが、永井陽之助について語った文章で、戦時中高等学校時代に永井が反米集会に参加したときの思い出。その文章が誰による、何の本に載っているものだか全然思い出せずにいた。ぜひ、もう一度読みたいと。

今年の夏、わかった。それは1985年に出た、永井陽之助編、『二十世紀の遺産』(この800円と12,000円の差は何だ?)(文藝春秋)の、針生一郎(google)というひとの"「近代の超克」論の運命"という文章だということがわかった。

 永井陽之助とわたしは、戦争中の旧制二高文化乙類の同級生で、しかも二人だけ結核のため留年し、学徒出陣も工場動員もまぬがれた。サイパン島玉砕のとき、全校決起集会があると聞いて、療養中のわたしが出かけると永井もきており、二人あいついで発言する破目になった。もっとも、当時永井はハウスホーファーなどの地政学に共鳴し、わたしは日本浪漫派に傾倒していたから、どちらも右翼的にしろ発言内容は対照的だった。あれから四十年余すぎて、二人の立場は大きくかけ離れたともみえるが、どちらも本質は変わらず、あの夜の発言の差異を拡大してきただけかもしれない。わたし自身をふりかえると、「近代の超克」という課題が、みはてぬ夢のように一貫しているのに気づく。

この文章をおいらが読んだのは1980年代中盤であった。なぜ、記憶に残っているかというとその時点で1)永井を読んでいて、かつ2)おいらの永井像は"対米すがりつき"、アンチ・ゴーリズムの典型で、3)でも、永井の文章がすごいので、永井に関心があったという状況で、反米集会参加という過去のエピソードにおいらが印象を受けたのであろう。

ちなみに、おいらは当時(も今も)近代の超克」派にとても興味があったのだが、この針生一郎さんを当時よく調べなかった。今ならネットで検索すればいいのであるであるが、当時は検索するすべがない(書誌を引くくらいか)。

で、「近代の超克」派+反米集会という連想で、なぜ強烈な永井像をおいらがイメージしたかと、今振り返るに、1980年代初頭のイラン革命とその反米的継続がある。

当時の報道番組でイラン革命報道を見た。その番組は革命を担うある教師(英語講師!)を追うことでイラン革命に一端を見るというもの。おいらが、びっくりして印象深かったのはその革命教師はNHKのインタビューに英語で答えているのである。そして、授業風景がでるのであるが、生徒が3-4人教師とオーラルの英語を勉強していた。(絵でいうとこういう人物たちが、ということですもちろんこの本は革命被害者の会の本です)反米イラン革命政権下のその英語授業に驚いた。理由は自分が日本の学校で受けている英語授業の貧しさに気付いたからだ。

当時の、今も、日教組の英語教師で日教組の言い分を英語メディアに英語で説明できる日教組英語教員がどれくらいの割合でいるんだろうか?

そして、反米集会。そのNHKの番組は、生徒は教師とオーラルの英語を勉強したあと、全校反米集会へと向かう。大勢のガキンチョがアメリカ・バカヤローと言っていたんだろう。

当時、つまり米ソ冷戦が一番厳しい1980年代前半、イラン革命ホメイニは反米はもちろん、ソ連に向かっても共産主義などアホなことやめろ!と言っていた。ヤルタ・ポツダム体制打破を夢想するさすがのおいらも絵空事に思えた。

以上は、イラン革命での反米全校決起集会の映像においらが印象を受けたということ。そして、反米集会の永井陽之助 1943@仙台をその映像イメージで理解したということを言いたかったのです。

そして、中井正一にたどりついた。

上の永井についての針生の思い出の文章は次のように続く;

広松渉は数年前に出た『「近代の超克」論-昭和思想史の一断想』で、哲学者らしく京都学派に重点をおいた上、「昭和研究会」に参加して協同主義のい哲学を説いた三木清の京都学派にたいする影響を指摘しているが、「近代の超克」論としては中井の方がより体系的で、先駆的だろう。もっとも、わたしは数年前、少人数の若い世代とともに一年間中井正一を読むゼミナールを経験して、論理とイメージ、思想と社会的条件のあいだを縦横に往復する彼の美文調レトリックに、あらためて危ういものを感じたことがある。-針生一郎、 "「近代の超克」論の運命" 、永井陽之助編、『二十世紀の遺産』-

今はそんなに永井陽之助に関心があるわけではないのです。夏以来興味があるのは1930年代の状況。ファシズムか?、共産主義か?の時代について。「近代の超克」問題。今回、針生一郎さんの文章で、中井正一に気づく。今読んでいます。

●美文調レトリック、って永井のことだろう。