いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

アムステルダム 王宮

2008年12月08日 21時24分12秒 | 欧州紀行、事情
-- 日本は戦争に負けてよかったのだというのが私の両親の一致した意見だった。勝っていたら軍部が威張ってどうしょうもなかっただろう。--

     吉目木晴彦 『ルイジアナ杭打ち』



アムステルダムの王宮。
オランダ王族の第一宮殿はハーグにある。この建物は1808年にルイ・ボナパルトが建てたらしい。王宮の右の見える三角屋根の建物は戴冠式を行う教会。

↓明治6年(1873)に岩倉使節が見た風景。

『特命全権大使 欧米回覧実記』

変わっている点といえば、王宮前にあった小さな塔がなくなっていること。そして、画像左の「国民記念塔・戦争犠牲者慰霊塔」(1956年建立)。

■開戦記念日
12月8日です。お釈迦さまが悟りをひらき、ジョンレノンが撃たれて死にました。

▼大恐慌から始まるアメリカ大成功物語、あるいは、明智光秀としての大日本帝国の開戦

大恐慌への対応策としてのローズベルトのニューディール政策の成功に大戦争が必要であったかは結論が出ていない。 すくなからずの研究者はニューディル政策の動員体制と生産過剰のはけ口として戦争が必要だったと解釈している。 ローズベルトはニューディル政策による国力増大と戦争により世界をアメリカの世紀としようと努力し成功したという仮想的観点で、後知恵的に眺めると、結構つじつまがあう。 当時のアメリカの目標は世界覇権の確立であったとすると、どの国から派遣を継承するかというと、ドイツでも日本でもなく、大英帝国と他の古いヨーロッパ列強である。すでに数十年前にスペインの派遣は継承した。スペイン。

で、アメリカは、アジアの利権を継承するために、大英帝国に直接戦争を仕掛けるわけにはいかない。戦後、結果的に東南アジアはアメリカの覇権下になる。なぜか、大英帝国を追い払った日本をアメリカを追い払ったからである。 なんのことはない大日本帝国は、カラスから奪った肉片を狼に奪われたキツネみたいなものである。狼、丸儲け。

秀吉はまさか信長を討ってまで天下人になるつもりはなかってであろう。でも、なった。それは、明智光秀という戦略眼がなく、ストレス耐性もない「お調子者」の発作により信長が討たれたからである。その光秀を一番に討った秀吉が天下人。

大日本帝国のシンガポール陥落を象徴とする東南アジア「解放」も、結局アメリカを利し、ヨーロッパ旧勢力を没落させアメリカ新時代を呼びこむ役割を、結果的に、したことになる。

でも、光秀も日帝知識人や庶民の少なからずが、スカッとすたんだって。

▼キツネのその後;狼丸儲けでアメリカの世紀がやって来て、我らが敗残・旧大日本帝国臣民のやったことは、丸ごとアメリカ化である。今日現在、昭和16年の視点からみたら、日本人はみんなアメリカ人みたいな生活をしている。日本人総偽毛唐である。アメリカ覇権の一大サンプルである。言論の自由だなんだって、おいらもみんなも幕僚長も言いたい放題である。こんなおしゃべり野郎どもは、大日本帝国にはふさわしくない。もっと慎みってものがあったはずだよ、日帝臣民。

もし、大日本帝国がソ連に戦争を仕掛けていたら?たぶん、アメリカ様には占領してもらえず、「アメリカ人みたいな生活」は実現しなかったであろう。

●明智光秀や、はたまた大日本帝国が、誰かに操られていたのだ、黒幕がいたのだ、という話は、大変おもしろいが、よっぱらってするほうがいいので、今夜はできない。

-- 「志願しようと思ってさ。軍人が不足しているんだ」元戦車隊長は車のドアにしがみつき、窓から首を突っ込んで来た。「ハリーはいいヤツだよ。でもこれだけは忘れないで欲しいな。ワシらは昔あんたらの国と戦争をして勝ったんだ」 --

             吉目木晴彦 『ルイジアナ杭打ち』