いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

風車

2008年12月18日 22時03分29秒 | 欧州紀行、事情


昨日、「結論」を書いたのですが、ずるずるやります。

オランダの定番、風車です。

だったぴろい牧草地域に風車が点々とあります。

日本に遊びに行ったオランダ人に会いました。「どこさ行った?」と聞くと、

阿蘇、雲仙、広島、京都だそうです。

火山に2つも行っています。 実はこのヨーロッパ人の気持ちをおいらはわかります。 イタリアの一部を除いて、ヨーロッパ人にとって火山とは全く未経験の現象であり、好奇心の強いヨーロッパ人が日本に来ると火山に行くのはよく聞く話です。

▼今、『村田良平回想録、上巻』を読んでいます。小学生の時シンガポール陥落マンセーの詩を書いて、それに音楽教師が曲をつけ、生徒みんなで歌ったという村田少年が駐米大使になるまでの生い立ち編です。

村田はマッカーサー将軍の人品を最低なものと認識し、披露している。おいらは、このようにはっきりとマッカーサー将軍を評した日本人を初めて見た。知らないだけかもしれないが。

そのマッカーサーと渡り合って、今に至る戦後日本の体制を創ったのは吉田茂であるが、吉田の悪口は、今読んでいる限り、書いていない。

吉田茂が首相時代、アールデコの朝香宮邸に住んでいたことは知っていたが、村田ら「1年生」外交官は吉田と"合宿"していたそうだ。吉田は「1年生」外交官とめしを食い、激励(煙に巻いた;本文)していたらしい。