最新の週刊ダイヤモンドから勝手に転載。今日が命日らしい。
■現在のスペイン国王はフランコ将軍の死とともに、1975年に王政復古で即位した。
でも、あきひとさんはフランコ時代からスペインに行っていたんだ。
私の最初の貴国訪問は,終戦後日本と連合国との間に結ばれた平和条約が発効した翌年のことで,我が国が先の戦争で大きな痛手を受けたように,貴国も内戦による痛手を受け,貴国の人々の生活も当時の日本の生活に近い厳しい状況にあることを感じました。しかしそのような状況にあっても,人々は明るく,また多くの出会った人々が,日本への親しみを表してくれたことが印象に残っております。
私が2度目に,そして皇后が最初に貴国を訪問したのは,1973年のことです。その前年,両陛下が公賓として我が国を御訪問になったことにこたえての訪問でした。 マドリードにおいてフランコ総統を始め,多くの人々から温かく迎えられましたが,特に両陛下にはビルバオやセビリアにも御同行頂き,心のこもったおもてなしを頂きました。
◇天皇陛下のおことば 国賓 スペイン国王陛下及び王妃陛下のための宮中晩餐 平成20年11月10日(月)(宮殿) (現在、リンク切れ)
■考えれば、先の大戦ではスペインと日本は交戦国ではなく、サンフランシスコ講和条約直後、すなわち皇族が海外に行くことが解禁されてすぐに、スペインは行きやすい国であったのだろう。
さらにこのことは皇室の交際する国の政体はあまり問わないともいえるのだろうか。すなはち、当時スペインには選挙による議会がなかったのだから。独裁国家。
独裁者との交際はなれっこ。
●場合によっては、独裁国家が最悪なわけでもない。日本は第1回目の帝国議会からはじまって今日に至るまで一度たりとして議会が消滅したことはない。でも帝国は亡びた。
国亡びて、議会あり。
軍部専制時代も占領軍統治時代も選挙をやって議員を選び、議会を運営してきた。
でも、国は一度亡び、また亡びそうである。
▼それに比べ、フランコ将軍・スペインはファシスト国家ながら大戦に参加することをかわし、内戦で事実上死に瀕したが、外国の占領による亡国はかわした。
ウィキペディア; フランシスコ・フランコ