いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

『近代日本の陽明学』 小島毅

2006年09月04日 19時23分55秒 | 

桜田門外の変、井伊大老暗殺の絵図。これは茨城県の大洗にある常陽明治記念館http://www.bakumatsu-meiji.com/bm_about_us.htmlの入場券です。正確にいうと半券の残りの方です。モギッてもらったあとおいらの手元に残った方です。スキャンしました。

井伊大老を殺害したテロリストは一人を除いてみんな水戸脱藩浪士。

この記念館は田中光顕という、土佐出身の維新の志士(このブログの表現でいうと、土佐出の日帝捏造に参画したチンピラ兄ちゃん)、彼は後に宮内大臣などを務める政府高官となるのですが、当時宮中行事で着ていた礼服やむつひとさん(明治天皇)から下賜されたものがまとめてこの茨城県の大洗にある常陽明治記念館に展示してあります。なぜ、茨城県の大洗にあるのかというと、田中光顕が維新のさきがけは水戸にあると水戸を尊敬していたので、水戸への恩返とのこと。

■井伊直弼は殺される直前に吉田松陰を殺しました。小泉首相が大好きな松陰センセです。(このブログは、2005/8/9に小泉さんに松陰の影をみてとって、言及した、あっもとい、「絵」及した。痩せギス男に狂気が宿る。 果たして、こののち小泉首相は国会の施政方針演説で松陰に言及。任期最後には長州詣でをした。)この井伊暗殺のあと、水戸は内紛で自滅し維新の舞台から消えます。そして、松陰門下の登場です。吉田松陰の門下生は、薩摩を巻き込んで、ドッカンドッカン内戦を挑発しテロを実行し、最後は幼帝を戴いて大日本帝国をつくったことはいうまでもありません。

■さて、本題に入ってこの『近代日本の陽明学』は、井伊殺害や幼帝奪取のクーデターの実行の背景にある陽明学について言及した本です。 章は「エピソード」として立てられIからVIまであります。具体的な人物/グループ・事件と陽明学の関係をつづったものです。
エピソードI  大塩平八郎 -やむにやまれぬ反乱者
エピソードII 国体論の誕生 -水戸から長州へ
エピソードIII 御維新のあと -敗者たちの陽明学
エピソードIV 帝国を支えるもの -カント・武士道・陽明学
エピソードV 日本精神 -観念の暴走
エピソードVI 闘う女、散る男 -水戸の残照


講談社選書・メチエ、1500円


■大塩平八郎にせよ吉田松陰にせよ、陽明学の教義というものがあってその教義を知的に習得したからといって武装蜂起やテロ計画をする行動者になったわけではない。そもそも陽明学には教義はなく、陽明学とは主流の朱子学を学びつつも独自にある種の気分に到達したものの「学術」らしい。そのある種の気分とは自分で考え付いた良いと思うことを実行すること。その結果、挙兵やテロにもなりうる。大塩と陽明学の関係について、著者は大塩の気質がもともとそうだから陽明学に惹かれたといっている。つまりは、陽明学を勉強するとテロリストになるのではなく、陽明学とはテロリストがすがる「文字シンボル群」らしい。

本書では幕末から現代の三島事件に至るまでファナティックな事件に陽明学が因子であることをみようとするもの(下図、左)。ただし、ファナティックな事件への陽明学以外の思想因子の検討がなされているわけでもなく、2・26事件のような大きなファナティックな事件についても陽明学との関係が述べられているわけでもない(下図、右)。さらには、近世陽明学のすべてを調べているわけではないらしく、陽明学の影響めでたく自分の善意に陶酔する学者で穏健で偉大なる常識人がいなかった/少なくなかったと証明しているわけでもない。



■要は話は簡単で、世人が好奇心をもつ事件や事象に、著者の得意な陽明学などの儒教が支配的で、陽明学や儒教を知らない世人に『決定的に何もわかっていない』!といいつのりたいらしい。

▲というか、この著者は三島について語りたかったのではないか?というくらい三島!三島! (というか、三島の話しかこの本には目新しいことはないのだ)三島の母方の家系に親藩小藩(宍戸藩)の大名がいて、その殿様がこれまた幕末のファナティック集団・天狗党のために詰め腹を切らされた。ただ、家系でつながりがあるばかりでなく、三島がそのことに自覚的で、小説として言及していることの紹介は興味深い。が、理論的につながっているわけでもないが。

■(非難ばかりでなく)お勧めします。<値段の1500円で内容をnormalizeしたら、安いといえるよ。>

”明治政府は儒学を体制教学として採用し、国民国家ナショナリズムの形成に利用した。”古田博司、『東アジア・イデオロギーを超えて』儒教 体制教学 元田永孚  と述べているように、江戸時代=儒教/維新後=近代学という単純な話ではないということを、この小島毅、『近代日本の陽明学』でも、論理的展開というより、連想ゲーム・○○つながりという展開で示してくれる。特に、皇軍と朝敵を峻別する『靖国神社』の姿勢に、古来の神道ではなく、儒教を見出す。近代日本での「ある種のファナティックな気質」と儒教・陽明学との関連に興味があるひとはどうぞ。

▼どうでもいいことですが、この本には「あなたにはあなたの、こなたにはこなたの、「近代日本の陽明学」がありうるだろう」というくだりがある。そんなに本を読むわけではないのだが、最近の書かれたもので「こなた」なんて初めて見た。ましてやブログなどネット上での文章ではお目にかかれない。万事がいやみでもったいぶったくさみのある本ではあった。おいらは、渡世で「こなた」をつかっている人に出会ったことがある。「ごきげんよう」、と言って別れた。

▲最後に。「かくして、水戸藩は、幕末の尊皇攘夷運動の震源地となりながらも、その果実を薩長土肥といった西南雄藩にかすめ取られてしまうのであった。」(本書、エピソードII 国体論の誕生 -水戸から長州へ 1 藤田三代功罪)と小島さんは書くが、本記事冒頭に示したように、土佐の田中光顕は水戸への尊崇を持ちかつ実際に示したことはいうまでもない。 かすめとることは恥だとおもったのであろう。恥を知るものにこそ幸いあれ! この点、このブロ愚は、<チンピラ兄ちゃんも成長するもんだな>、といわなければならない。