いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

一夜で多輪 おいらの梅

2006年03月12日 16時38分07秒 | 草花野菜


■見ちゃった。ちぇぶらーしか・フジワラセンセ。今朝の報道2001。 生の政治報道番組に緊張したのか、NHKのトーク・コラム番組(録画?)と違って、顔が怖かった。さらには、チックなんだね、フジワラセンセ。

■小気味のいい啖呵の連発で、きもちよし。小気味いいわけは、論理がすっきりしているから(自己欺瞞!)。 望外にカタルシスだったのは、皇統問題で、慣習は世俗の憲法や内閣や議会がとやかくいえる筋合いではない!というばかりでなく、天皇自身も慣習にはとやかくいえない!と喝破したこと。

■統帥権干犯狩りの青年将校みたいでいいよね。でもこういう原理主義って、論理原理主義だとおもうけど。

▲それにしても、女系天皇容認派も、その判断にいたった、あるいは、せざるをえなかったのは、現実に後継天皇がいなくなる可能性があったこと。そしてその状況は、なにもGHQの占領政策ばかりでなく、そもそも薩長新政府が朝廷を廃したこと、ひろひとさんが側室という制度をやめたことにある。グッバイ、ちょんまげ!もすこす関与。 特に、側室という制度をやめたことが一番の原因である。

▲男系というきまりなのだから、それを守れというのはたやすい。むしろ、側室を復活せよ!と藤原が主張するなら、その伝統主義はホンモノだろう。しかし、藤原もそれをいうと世間に受け入れられないことをわかっているのだろう。世間の声など関係ないというならば、真っ先に側室復活を宮内庁に訴えればいいのではないだろうか?

▲それにしても、世論なんてあてにならない、と主張する御仁がなぜ本など書いて世論に訴えるだろうか?もちろん、おれの本はエリートが読むのだと言われれば、筋は通るが。


 星亮一 『会津落城』P2から転載.

藤原は、「弱いものいじめをする根性」や「勝ち馬に乗ろうとする根性」を卑しいものとして唾棄する。まったくもってそのとおり。上記は戊辰戦争で会津に攻め込んだ諸藩である。全国の諸藩がよってたかって会津を撲滅したのである。彼らこそ、「勝ち馬に乗ろうとする」皇軍=天皇の軍隊に他ならない。 戦争で殲滅しただけでなく、戦死者の埋葬をも禁止したことは以前書いた。
 埋葬禁止 愚民党大臣 島村宜伸

■藤原は、一方で、薩長の会津撲滅に憤っている。藤原が言語道断で尊崇しなけれならいと主張する皇室の軍隊を卑怯よばわりすることは、論理的には錯乱しているといわねばならない。 しかしながら、論理なんてものに頼るからダメなので、論理に先立つ情緒こそ重要なのだという藤原「論理」に従うならば、それは問題ないのであろう。 つまりは、おれサマが情緒で思いつたことは、論理が成立しなくとも、肯定されるべき命題なのだ!ということだ。 <おれサマ化するおばか(自称)「保守」おやじ>の氾濫である。

■「一万人の殺人犯がいても国は滅びないが、一万人のエリートがいないと国は滅びる。」 いいね。そのとおり。おいらも、一万人のエリートがきちんと統治する国で、おもいっきり安心して、鼻くそほじりながら、おばかなことをほざいて暮らしたいね。それがおいらの夢だっちゃ。

 
国は滅びるし、家は焼けるし. でも散歩.

▼東大法学部でも1800人いて、ゼミ参加とか卒論を書く機会を得る人は少なくて、大半は座学だけして、卒業していくんだってね(伝聞)。やっぱ、そういうビンボーくさい教育はやめたほうがいいじゃないんかな。

■「今の日本全体は腐っている。」まったくもってそのとおり。だから、百万人の『国家の品格』を真に受ける民がいるわけだ。森喜郎(仮名)みたい田舎のおっさんが、「日本はすばらしいんだ!」「つべこべいわず、いままでどうり、オレさまのいうよに、やればいいんだよ!」「そうだよ、理屈ばっかりいううやつはダメなんだ」と言い出しそうでこまっちまう。

■これは、おいらががんきんちょのころ、漬物工場に勤めていたじっちゃんのこと。トヨタのカンバン方式なるものを聞きかじってきた社長(信念@浅沼さん、仮名)が、従業員の背中と腹に、<目指せ!売上倍増>とか<石狩づけの鮭の切り身係り>とか書いた看板をぶらさげさせ、仕事をさせていたことを彷彿させる。

■じっちゃんは、晩酌で焼酎を飲みながら、小声で♪~♪~サンドイッチマン、~♪~サンドイッチマン、~♪おいらは街のどーけもの~♪~と情けなさそうに歌っていたのを思い出す。

■「たかが経済!」って、言ってみたいよね。お金がないって、お金がないということだけでなく、従属した人生を強いられるということ。税金から千万以上のお給金を取って、「自由」な身分でいいよね。旧国立大学・現独立行政法人、どっちにしてもtax eater、の教授さま。

●難民の子供も国を憂うるほど成長されてなによりである。おいらはがきんちょのころ、ラジオで藤原ていの回顧を聞いた。特に強烈に記憶に残っていることは、最後の朝鮮での決死の強行軍とあわせて、渡満前の長野での生活。田んぼの泥につかってよつんばいになって農作業をしていると、あぜ道をきれいに着飾った<貴族>が通るのを、ていが見たときの回顧。ていがどう思ったかを表現した言葉そのものは忘れたが、それは素朴で強烈な雑民の情念であったはずだ。当時おいらは、長野・土地ない・満州への大量移民とかの知識がなかったが、なぜかしら強烈な印象をうけた。

■田んぼの泥につかってよつんばいになって農作業や子供三人を連れての難民逃避行とか、藤原正彦をあらしめているものは、案外、武士道などではなく、雑民のたくましさだとおもうのだが。他人様のことだ、大きなお世話だすね。そして、今後の日本は、武士道など失われてしまったものなのだから、雑民のたくましさが唯一の生存の術だと、おいらは思う。

●現在日本の問題は、雑民が、高度経済成長の結果、あたかも銀のスプーンをくわえて生まれてきたがごとき錯覚をして、雑民の生存に不可欠な術としてのたくましさや「雑民道」を捨て去っていることである。その勘違い銀スプーン組が、いか@サマ本『国家の品格』を真に受ける読者なであろう。

■「日本語」を大切にしよう、日本国民はみんなで高度な日本語運用能力を身に付けようというのは賛成だけど、それはなにも伝統とは関係ないよ。「日本語」なんて<たかが>150年の産物だよ。もしあなたが死んであの世で4代前以上のご先祖さまに会ったら、あなたが大名や旗本の家系でないかぎり、言葉は通じないと思うよ。


チック仲間

■勝ち馬の印

        昔 → 今

●3/21記す。内田センセは、『国家の品格』って、ちょっと夜郎自大かも、とやんわり、そしてかなり、いささか、手厳しくおしゃっているのでしょうか?

>>私がアメリカ人なら(私はそういう種類の想像ばかりしている人間であるが)たぶんこの本を読んで「けっ」と思うだろう。
この本を読んで日本人読者が「溜飲を下げる」箇所の多くは、外国人が読んだら「むかつく」箇所である。<<

とか、内田センセはいうけど、外国人でなくとも、誇りある雑民なら、「けっ!」とおもうもんじゃないだろうか。