いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

三河武士とギリシア正教

2005年12月25日 18時54分32秒 | 国内出張・旅行
■序



日本のギリシア正教・ハリスト教会の中心の駿河台のニコライ堂。駿河台という地名は徳川将軍に直参が駿河から江戸に来た時に故郷にちなんでつけた。駿河台とは武士の中の武士が住むところ、ということだ。

さて、明治になってギリシア正教・ハリスト教会が布教を拡大したとき、信者は旧武士が多かった。特に東北地方は信者が多く、明治38年には約3万人であったとのこと。ソース→ギリシア正教の布教

旧武士が新たな宗教に走ったのは精神的支柱を失ったので、新たな支柱を求めたのであろうか? そういえばソ連崩壊の時に、逆に、日本のオウム真理教がロシアで流行した。

■三河武士とギリシア正教
三河の国、豊橋の吉田城と横にあったギリシア正教の教会。


吉田城


豊橋のギリシア正教教会


↑こういうイコン像が教会の中にあるそうです。

PS;イコン像=iconはデスクトップのアイコンと同じ言葉です。


Y遺伝子に依存せず、残しもせず。