いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

桜開花・宇和島 竹雀系

2005年03月29日 06時52分17秒 | 仙台・竹雀・政宗
全国に先駆け桜開花・宇和島

宇和島で桜開花。報道では全国トップとあるが、沖縄より早いのか?あるいは、沖縄にはソメイヨシノがないのかな?

さて、宇和島。竹雀系。 江戸時代は宇和島・伊達家。 藩祖は伊達秀宗、伊達政宗の長庶子。ママは「猫御前」こと側室の新造方。ちなみに秀宗は長じて井伊直政の娘と結婚。井伊家のラッキーアイテムは「招き猫」。生まれながらの ねこ・えりーと です。(←どんなエリートなんだ!?)

秀宗の「秀」は、豊臣秀吉の秀。がきんちょのころ、「人質」としてママの猫御前とともに秀吉の近くで育つ。豊臣姓を与えられ、秀吉チルドレンとして成長。しかし、秀吉が死に、関が原の戦い、そして弟にして正妻の子伊達忠宗が仙台の正嫡となる。世の中が豊臣から徳川に移るなか、豊臣の色がついている秀宗の運命は必ずしも明るくないだろうとみなされていただろう。

そんな、秀宗が家康から宇和島10万石をもらった。10万石以上を大藩という人もある。政宗も秀宗が大名になっても3万石か5万石くらいだろうと踏んでいたらしく、驚いたらしい。そんなことより、この宇和島10万石が江戸幕府の幕引きに一役も二役も買うとは家康もあの世で驚いていることであろう。

伊達宗城(むねなり):幕末の宇和島伊達家藩主。いわゆる幕末の有志大名(島津久光、松平慶永=春嶽、山内豊信、伊達宗城)のひとりで四候会議を京都でもち幕府と朝廷の調整をする。この4人(伝統的政治家)になんかしてもらって、なんかさせてどうにかしようと絵図を描いていたのが西郷・大久保(ちんぴらにーちゃん)である。宗城はいわゆる開明的大名であり島津とのつながりがあった。この4人は、明治維新では、最終的に裏切られたといってよい御仁たちであるが、彼ら徳川幕府の大政奉還への道を整え、最後に西郷・大久保・岩倉がクーデターを起こし、政権を捏造した。

のち、戊辰戦争。仙台は奥羽越列藩同盟の要として戦うも敗北。最後は、相馬口(仙台伊達領の南の境)で仙台藩降伏使節が嘆願書を提出し降参した。その時、伊達家の誼ということか、宇和島伊達家が立ち会っている。維新後は、宇和島伊達家は伯爵。一方、仙台伊達家も伯爵。本来は仙台が宗家であるのに、同格になったのは維新の功績にほかならない。


 
いつか行きたい宇和島城。もともとは藤堂高虎がつくりました

上の写真はここからいただきますた。